火が迫り「頼むから逃げて」と周囲に促した神戸大学生、父は30年経て「えらいこと言うたなあ」
読売新聞 / 2025年1月17日 23時2分
兵庫県
神戸大工学部3年だった竜一さんは、神戸市灘区の木造2階建てアパート「西尾荘」の1階で下宿生活を送っていた。秀夫さんとは友達のように仲が良く、月に1度は夕食に出かけた。
20歳の誕生祝いにはスナックで酒を酌み交わし、歌った。震災前夜も、兵庫県明石市内にあった秀夫さんの自宅近くの焼き肉店でたわいもない話をした。「就職は大変やぞ。大学、ちゃんと卒業せえよ」「わかっとるわ」――。語らいは、その先も続くはずだった。
地震直後、秀夫さんは車のラジオが伝える被害の大きさに焦りを募らせながら、竜一さんの元に向かった。
到着したのは午後4時頃。アパートは全壊、全焼しており、周辺の避難所や病院を駆け回ったが、竜一さんの姿はなかった。2日後、アパートのがれきを掘り返すと遺骨が見つかった。
家の下敷きになったのだろう。そう息子の死を受け止めていた。しかし、2か月後に手にした新聞記事で、思わぬ真実を知った。
火の手が迫る中、アパートに住む学生らが、
「直後は生きとった。火さえなかったら助かっとったんや」と秀夫さん。息子を思うと、どうしようもなく苦しかった。
◇◇◇◇◇◇
2000年夏、神戸大の慰霊碑を訪ねた秀夫さんは、碑のそばに高さ約10センチの幼木を見つけた。玉砂利の隙間に芽吹く様子に強い生命力を感じた。
どういうわけか、息子が思い浮かんだ。植木鉢に入れ、古里の養父市にある墓のそばに植え替えた。ぐんぐんと幹を伸ばす姿は、「竜一の後の人生を表すようでうれしかった」。
2~3年前から、4メートルほどに伸びたクスノキの根が拡大し、住職から伐採を促された。なかなか勇気が出なかったが、23年夏、種が飛んだのか、墓の裏に新たなクスノキが育ち始めているのを見つけた。「2世がおるなら、切ってもゼロにはならへん」。今春にも伐採する決心がついた。
◇◇◇◇◇◇
「あの時、火がすぐに消されてさえいれば」という悔しさが消えることはない。きっと喉が渇いているだろうと、仏壇には冷たい水を欠かさず供えている。
30年たった実感はない。ただ、息子の同級生に大学生の子どもがいると聞くたびに、時の流れを思い知る。最近は「竜一と会える日が近くなっている」と少し気が楽になってきた。天国で会えたら、まずはほめてやりたい。
「お前、『頼むから逃げてくれ』なんて、えらいこと言うたなあ」
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