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「野球殿堂」選手だけじゃない、球界愛した偉人たちに拍手

読売新聞 / 2025年2月5日 17時30分

野球殿堂博物館(東京都文京区)

 イチロー氏の日米での野球殿堂入りが大きな話題となりました。読売新聞朝刊の投書欄「気流」には、日本の野球殿堂に関する投書がこれまでに寄せられてきました。選手ではない人をたたえる声も。記者の心に刺さった投書を紹介する「ササる投書」、今回のテーマは「野球殿堂」です。(※投稿者の年齢や職業などは掲載当時。紙面では実名で掲載)

正岡子規の歌を胸に、球春待つ

 俳人、歌人の正岡子規の野球殿堂入りが先日発表された。昨年は野球の本場アメリカでイチロー選手が大活躍したが、日本の野球発展に貢献した功労者として子規が殿堂入りしたことは、まことに喜ばしい。

 子規は自らもボールを投げ、バットを振り、野原を駆けたが、病身のため35歳で生涯を閉じた。伝統的な俳句・短歌の世界に新しい息吹をもたらした素地には、渡来した「ベースボール」をいち早く多くの歌に詠むというような感受性の豊かさがあったようにも思う。

 つたない歌を老後の遊びとし、高校野球観戦を楽しみとしている私は、子規の歌<今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸の打ち騒ぐかな>を胸に、春の球場に出掛ける日を心待ちにしている。(80歳・無職=富山県、2002年1月19日掲載)

志村アナの名実況、今も鮮明に

 小学5年生だった昭和13年(1938年)ごろから、ラジオ放送で大相撲や野球放送をよく聞いていた。当時、野球は東京六大学の全盛時代で、春と夏のリーグ戦を全部放送していた。私もスコアブックをつけながら放送を聞いたものだ。

 さて、12日の本紙にスポーツアナウンサーとして活躍された志村正順(まさより)氏の野球殿堂入りの記事が載っていた。91歳の高齢でご健在とは。戦前・戦後の大相撲や野球での、あの歯切れのよい名放送ぶりは、今も鮮明に覚えている。

 野球放送に解説者をつけることを提案されたのが志村氏だとは聞いていたが、名コンビであった解説者の小西得郎氏を、志村氏が選んだとは知らなかった。

 志村氏は「今は間のいい解説がない」と指摘されたという。すべてのテレビ局とはいわないが、最近はアナウンサーと解説者が一球ごとに解説している場面をよく見受ける。

すべての場面で話したい気持ちは分かるが、我々もテレビ画面を見ているのだ。「自分が監督なら、ここはスクイズか」などと考える間があってもいいのではないか。アナウンサーや解説者は間断なく話すのではなく、視聴者に間も提供してほしい。(77歳・無職=埼玉県、2005年1月19日掲載)

担当記者から

 野球殿堂博物館(東京都文京区)に掲示されているレリーフを眺めると、野球が多くの人の力で発展してきたことが分かります。「こんな人が殿堂に」と驚くこともあります。最後に、「この人を野球殿堂に」と推す投書を紹介します。(田渕)

水島新司さん、野球への強い愛情

 野球漫画の巨匠、水島新司さんが亡くなった。水島作品を愛読していたので、悲しい思いでいっぱいだ。

 私が水島作品に特に魅力を感じるのは、人間ドラマを野球を通して丁寧に描いているところだ。投手の主人公が自分の信念を貫く姿を描いた「光の小次郎」が一番好きだが、どの作品にも本当にリアリティーがある。これは、水島さんの、深い知識だけでなく、野球への強い愛情があったからこそだと感じる。

 水島作品を読んで野球を始めた子どもや、野球ファンになった人は数知れないという。水島さんの野球界への貢献は、野球殿堂入りにも十分値すると思う。(63歳・公務員=福岡県、2022年1月21日掲載)

 「ササる投書」を随時掲載します。次回もお楽しみに!

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