深夜の東京に現れる南国野菜の移動販売車はどこから? 東南アジア人夫婦が日本で農園を営むまで
47NEWS / 2024年8月30日 10時0分
深夜0時過ぎの東京・上野。多くの飲食店が閉まる中、繁華街の一角に続々と在日タイ人や中国人ら外国人が集まる野菜の移動販売車がある。ワンボックスカーの中に作った棚には、パクチーや唐辛子、バジルなどが並び、爽やかな香りが周囲いっぱいに広がる。
十数人の外国人が車の前で列を作り、新鮮な野菜を求めて順番を待つ。表情は嬉しそうだ。
野菜を売っているのはラオス人のセインティサック・シーサアットさん(67)。農業が盛んな茨城県坂東市で、タイ人の夫スカノンチャナパ・サタポンさん(67)とタイの野菜を育て、夜になると東京を中心に千葉、埼玉など首都圏を回って野菜を届けている。
お客さんからタイ語で「メー(お母さん)」と親しまれるシーサアットさん。常連にはタイ料理店の従業員や近くに住むタイ人が多いという。
人に歴史あり。夫婦が母国から遠く離れた日本で現地の野菜を作って同胞に届けるようになるまでには、さまざまな経緯があった。(共同通信=森内みのり)
▽茨城県坂東市で生産
農園で育てたパクチーを手にするシーサアットさん(左)と夫のサタポンさん=3月、茨城県坂東市、2024年3月27日
夫婦が野菜を育てるのは、坂東市の利根川沿いに広がる「サタポン農園」。記者が取材した2024年春には見渡す限り一面にパクチーが元気よく育っていた。唐辛子や空心菜、ホーリーバジル、レモングラスなど約20種類を育てている。
サタポンさんは、畑の大部分を占めるパクチーについて「葉が大きく柔らかで香りも格別」と誇らしげに語る。早朝から畑やビニールハウスを回り、水やりをしながら野菜の育ち具合を確認するのが日課だ。
手塩にかけた野菜が立派に育つのが楽しみだといい「新鮮でおいしい野菜を届けられた時が一番幸せ」と話す。
農園の野菜で作ったタイ料理を披露するシーサアットさん(左)と夫のサタポンさん=3月、茨城県坂東市
夫婦には日々の楽しみがある。農園で採れた野菜をふんだんに使って料理を作り、農園のアルバイトも含めたみんなで食卓を囲むランチの時間だ。
夫婦そろって料理好きで、毎日どちらかが腕を振るう。食卓には色とりどりのタイ料理が並ぶ。
ある日のランチでは、日本でも人気の「ガパオライス」を作った。タイの家庭でよく使われるすり鉢で唐辛子やニンニクをつぶし、ニンニクを揚げた香ばしい油でホーリーバジルや豚肉を炒めてご飯に乗せた料理だ。記者が訪れた時は、部屋中が食欲をそそるタイ米の甘い香りに包まれていた。
シーサアットさんは「母国のラオスでも家族みんなで賑やかに食べるのが好きだった」と懐かしむ。
▽2人が来日した経緯
2人が日本に来たのはいずれも30年以上前になる。シーサアットさんはラオス南部サバナケットの出身だ。ラオスでは1950年代~1970年代の長い間内戦が続いており、多くの人が社会主義政権の圧政を恐れて国外に逃れていた。
まだ幼い子どもを育てていたシーサアットさんは、武力衝突も起こる中では安心して暮らせないと考え、命がけでメコン川を渡って隣国のタイに逃れた。その後目指したのは、母国で放映されていたドラマを見て文化的にも親しみやすい国のイメージがあった日本。タイの難民キャンプでは日本語を懸命に学び、1985年に難民として来日した。難民を支援する神奈川県の施設で日本語や日本の文化を学んだ後、ラオス人の知り合いが住む茨城県に。県内の介護施設などで学んだ日本語を生かして働いていた。
サタポンさんはタイ中部ウタイターニー生まれ。タイを出たのは「外国なら稼げると思った」から。同じように日本のドラマを見て優しい国民性のイメージに引かれ、1992年に東京都内に移り住み、建設業などの出稼ぎ労働に従事してきた。
2003年、サタポンさんは在日タイ人が集まる千葉県野田市の飲食店を訪れ、店の従業員だったシーサアットさんの姪と知り合った。サタポンさんの誠実で優しい性格を気に入った姪が、シングルマザーだったシーサアットさんに紹介。タイとラオスは言葉が似ている。食などの文化的にも近い。2人はお互いを助け合う友人として絆を深め、1年後に結婚した。
茨城県で一緒に暮らすようになった頃、サタポンさんは趣味でタイ野菜を育てていた建築業の同僚のタイ人を手伝うように。初めは自分たちが食べる分を育てる家庭菜園だった。日本ではなかなか新鮮なタイ野菜を手に入れることができなかったこともあり、在日タイ人コミュニティーの間で徐々に評判を呼び、友人のつてで坂東市で畑を借りて、2010年に農園を開いた。
▽深夜に仕事が終わる同胞のために
東京都内でタイ野菜の移動販売車に並ぶ外国人ら=3月27日午前0時半ごろ、東京都文京区
サタポンさんはタイで実家の稲作を手伝うなど農作業の経験は多少あったが、異国での農業は苦労の連続だった。気候風土の違いや害虫に悩まされた。種から芽が出ず、芽が出ても枯れてしまうこともあった。「慣れない土地で野菜を育てるのは簡単ではなかった」と振り返る。
そんな中、日本人農家から畑やハウスを貸してもらったり、近くに住むタイ人にアルバイトとして農作業を手伝ってもらったり。シーサアットさんは「みんなにたくさん助けてもらいながら畑を作った」と語る。
畑に出ると、近くで農作業する日本人農家と野菜のことや世間話に花を咲かせ、お互いを気にかけ合う関係が続いている。
シーサアットさんは「これまで自分たちがたくさん助けてもらってきた分、周りの人たちのためにできることをしたい」と強く思うようになったという。
育てた野菜は農園で直売したり、ネットで注文を受け配送したりする。日中の畑仕事を終えた後の深夜、移動販売車で回るのは、働いているタイ料理店が閉まってから買いに来るお客さんが多いためだ。
週6日は深夜から未明まで首都圏を回る日々。明け方に坂東市の自宅に戻って、また早朝から畑に出る生活を送る。身体的な負担は大きい。
それでも2人は「元気な限りは続けたい」と話す。野菜を手に喜ぶ同胞の姿に励まされてきた。
移動販売に集まるお客さんの中には、「母国料理を作る時に欠かせない」「ここで同胞に会えるのが嬉しい」と話す人もいる。
シーサアットさんは野菜を渡しながら、お互いの近況を聞いて笑い合うのが楽しみだという。「異国で一生懸命生きる同胞をタイ野菜で元気づけたい」と笑顔だった。
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