ユダヤ人に命のビザを出した日本人外交官。その記念館でイスラエル人は何を思うのか? 「負の歴史」に向き合う場所で、団体客を乗せたバスを待ち、聞いたこと
47NEWS / 2024年8月27日 10時0分
終わらない戦争。増え続ける一般市民の犠牲。日本で「戦争」を直接知らない世代が大半を占めるようになったが、2022年に始まったロシアのウクライナ軍事侵攻や、2023年10月以来続くイスラエルとパレスチナ自治区ガザのイスラム組織ハマスの衝突など、戦闘に巻き込まれ「死ぬはずのなかった人」が亡くなっている。こうした毎日に、命の価値が揺らぎ続けている。
そんな中、「負の歴史」に向き合い、平和や人権について再考するきっかけとなる場所が岐阜にある。それは岐阜県加茂郡八百津町の杉原千畝記念館。イスラエルからの観光客も多く訪れているという。イスラエル軍のガザ地区への激しい攻撃が続く中、遠く離れた日本で第2次大戦史を振り返るイスラエル人たちは何を思うのだろう。直接話を聞いてみたい。イスラエル人団体客を乗せたバスの到着を記念館の前で待った。(共同通信=黒崎寛子)
▽不便なアクセス、それでもイスラエル人が訪れる場所
杉原千畝(1900~1986年)は第2次大戦時、領事代理として赴任していたリトアニアのカウナスでポーランドからヒトラー率いるナチス・ドイツの迫害を逃げてきた大勢のユダヤ人たちに日本通過ビザを発給した外交官。日本政府の指示に反し、数千人のユダヤ人を救ったといわれる。1985年にはその功績が認められ、イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)」を授与された。当時の外務省の命令に背きながら発行したビザは外務省外交史料館によると計2139枚。これらは「命のビザ」として生存者の子孫に「命の次に大切なもの」と代々受け継がれている。
記念館は、岐阜市内から車で1時間ほどの緑豊かな場所にある。アクセスは不便なものの、海外からの来場者も多い。俳優の唐沢寿明さんが主演した映画「杉原千畝 スギハラチウネ」が公開された2015年度には、国内外からの来場者は5万2千人を超えた。コロナ禍の影響で21年は約8200人に減り、海外から訪れる人もほとんど途絶えたものの、23年度の外国人入館者は約1300人に増え、うち大半をイスラエル人が占めた。
だが、2023年のイスラム組織ハマスによるイスラエル急襲以来、大規模化した軍事衝突を受け、テルアビブ―成田の直行便が運休。ほぼ毎月200人を超えていたイスラエル人来場者はゼロになった。直行便の運航再開もあり、2024年3月には徐々に客足は戻ってきた。
▽ヘブライ語でも展示品紹介
杉原千畝記念館で再現されている、「命のビザ」を書いたリトアニア日本領事館執務室=5月、岐阜県八百津町
館内にはビザ(査証)の複製が展示されているほか、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の歴史や、命のビザで日本に来たユダヤ人を迎えた福井県敦賀市の人々のエピソードもパネル展示などで紹介。一階奥の部屋には、杉原千畝が「命のビザ」を書いたリトアニア日本領事館執務室が再現されている。
山田利幸館長(60)によると、団体客の中にはホロコースト生存者の孫たちも多いという。2024年5月21日は約30人のイスラエル人団体ツアー客が来館した。入館すると研修室で杉原千畝に関する約17分のビデオを全員で視聴。入室後に賑やかだった雰囲気は一転、ビデオが始まると水を打ったように団体客は静まり、スクリーンに目を向けた。視聴後は館内展示品を自由に見て回る。1階の展示品紹介は日本語・英語・ヘブライ語で記載されている。
記念館訪問はツアーの中に組み入れられているという。山田館長は「ツアーリーダーがこの記念館に興味ある人だと、皆さんをここに連れてきてくれる」と話す。そういうわけで、自由時間にはパネル前で足を止め、じっくり読む人もいれば、足早に館内を一周し、出口に向かう人もいた。
▽「今日ここに来ているみんなが、戦争が終わってほしいと願っている」
杉原千畝のビデオを視聴するイスラエル人団体客=5月、岐阜県八百津町の杉原千畝記念館
この日、団体ツアーで記念館を訪れたイスラエル人の会社員シャロン・テハルレブさん(48)は「ここに来るまで彼のことは知らなかったが、彼はユダヤ人の歴史の大切な一部だと思う。彼のような人がこの世界にもっと増えてほしい」と流暢な英語で語る。
「まだ取材相手を探してる?」と話しかけてきた会社員エイナット・カノールさん(52)は、ホロコースト生存者の両祖父母をもち、幼少期から話を聞いてきたという。「杉原さんの事は知らなかった、感動した。異宗教というだけで、人を殺す理由にはならない。思いやりが大事」と穏やかな口調と笑顔で話した。
ビザモニュメントに設置された「平和の鐘」=8月、岐阜県八百津町の人道の丘公園
最後の一人が記念館から出てくると、団体客は全員で人道の丘公園敷地内にあるビザモニュメントに向かった。他の団体客がビザモニュメントに設置された「平和の鐘」を打ち、鐘の音が辺りに響き渡る中、終わりの見えないイスラエル軍とハマスの武力衝突についてテハルレブさんはこう語った。「今日この記念館に来ているみんなが、早くこの戦争が終わってほしいと願っている。イスラエル兵士も大勢亡くなっているし、お互い悲惨な状況に陥っている。私たちはただ平和な暮らしがほしいだけ」。カノールさんは「人が人を殺すなんて私には理解できない。私たちは獣じゃないんだから。早く戦争が終わってほしい」と話し、団体客が待つ出発直前のバスに戻った。
▽館長が、戦争を体験していない世代に願うこと
メッセージが書かれたカラフルな付箋に埋め尽くされた「人道の木(メッセージツリー)」=8月、岐阜県八百津町の杉原千畝記念館
記念館パネル展示の最終地点には、人道の木(メッセージツリー)が設置されている。記念館に募金するともらえるステッカーに、メッセージを記入し、壁面の人道の木に来場者自身で貼り付ける。「人道の木」には杉原千畝を賞賛するものや、ウクライナ、ガザの平和を願うメッセージが多く寄せられていた。日本人からは「こういう歴史があるのに、未だ戦争が起きている状況がとても悲しい」と館長に話し、記念館を後にする人もいるという。
総務省によると2023年10月1日現在、戦後生まれの人口は1億932万人で、全体の87・9%を占める。「戦争を直接体験していない世代」が9割に迫り、先の大戦記憶の忘却への懸念は深まるばかりだ。そんな状況下で続く軍事衝突を危惧する山田館長は「若い人たちにもっときてほしい。このパネル展示を通して自分なりに平和や人権について考えてもらいたい」と話した。
▽時代と国境を超える戦争の「痛み」
杉原千畝記念館を訪れ、メッセージを貼るイスラエル人の来場者=5月、岐阜県八百津町
杉原千畝や記念館に関する質問にはほとんどの人が足を止め、エルサレムのホロコースト記念館「ヤド・バシェム」の話や自分の先祖について織り交ぜながら真剣な表情で答えた一方、イスラエルとイスラム組織ハマスの衝突の話題に触れると「政治の話をするの!?」と渋い顔で反応する人も少なくなかった。「あの人のほうが英語上手だし、話してくれると思うわ」と遠慮気味。「話したくないのか、話せないのか、話さないのか」は分からない。ただ、「ホロコーストで多くのユダヤ人の子どもが命を落としたように、ガザでも今、何の罪もない子どもたちが毎日亡くなっている。この状況をどう思うか?」との問いに対しては「本当にかわいそう。悲しい」との言葉で一致していた。少しほっとした。
杉原千畝の銅像=8月、岐阜県八百津町
死と隣り合わせの生活を余儀なくされる一般市民が後を絶たないという状況は、大戦時も「現在」も変わらない。無差別に無数の人々の人生を翻弄する戦争は「現在」も続き、終わりが見えない。戦禍における殺りくが「過去」として語られる日はいつ来るのだろう。2025年には戦後80年を迎える今、杉原千畝の功績を振り返りながら、各地に起こる戦争の一刻も早い終結を願う。
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