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裁判官が謝罪「南北対立で国家暴力の犠牲に…」 「北朝鮮スパイ」捏造、被害者や家族の苦悩は今も続く【朝鮮半島と在日「スパイ」(下)】 

47NEWS / 2024年9月4日 10時0分

再審で無罪が出た故・崔昌一さんの娘の中川智子さん=5月23日、ソウル高裁前(撮影・金民熙=共同)

 韓国と北朝鮮は分断国家として対立し、互いにスパイを送り込むなどしてきた。韓国は今でこそ「民主主義」「K―POP」といったイメージがあるが、1980年代までは軍事独裁政権で、本物のスパイではない人たちも「北朝鮮のスパイ」として多く摘発された。捜査員の実績競争や、北朝鮮の脅威をあおって民主化運動を弾圧しようとした背景があったといわれる。在日韓国人らも、留学やビジネスで韓国を訪れた際に「日本で北朝鮮工作員の指示を受けた」などとして、多数が摘発、長期拘束された。
 今年5月、韓国政府の人権侵害調査機関は14年ぶりに、新たに4人の在日韓国人(いずれも故人)について、拷問による虚偽自白などを認定し、再審を勧告した。ただ被害者や家族は今も傷を抱える。日本で生まれ育った家族は「軍事独裁政権が私たちの人生をどこまでめちゃくちゃにしたのか韓国政府は理解しているのか」と訴える。(共同通信ソウル支局 富樫顕大)

 ▽69日間不法拘禁、機密でもない情報


ソウルの西大門刑務所歴史館に展示されている、嫌疑捏造でスパイとして投獄された在日韓国人らの記録=7月9日(共同)

 政府の調査機関は「真実・和解のための過去事整理委員会」。今年5月、在日韓国人の複数の事件について調査結果を発表した。被害者はいずれも故人で、大阪府などの出身の崔昌一(チェチャンイル)さん、呂錫祚(ヨソクチョ)さん、高賛昊(コチャンホ)さん、姜鎬振(カンホジン)さん。1970~80年代ごろ、ビジネスや先祖の墓参り、親戚訪問などで日本から韓国を訪れた際にスパイ活動をしたとして、それぞれ約2~7年間、拘束された。
 このうち崔さんを巡っては、娘の中川智子さん(42)=大阪市=が委員会の勧告に先立って再審を請求しており、今年5月にソウル高裁で無罪が言い渡された。


再審で無罪が出た故・崔昌一さんの娘の中川智子さん(中央)を祝う支援者ら=5月23日、ソウル高裁前(撮影・金民熙=共同)

 崔さんは、東大大学院で地質を研究する修士課程を修了後、1960年代から韓国で勤務した。しかし、北朝鮮工作員とされる人に韓国の炭鉱などの情報を教えたなどとして1973年から約6年間拘束された。
 ソウル高裁の再審判決は、崔さんの供述は「不法な拘禁下で、任意性がない状態で得られた」上に、起訴内容の炭鉱などの情報は、そもそも「機密として保護される価値があるものと認められない」と指摘した。委員会の調査によると、崔さんは令状のない連行で69日間不法拘束されていた。
 ただ検察側は「判決は国家保安法や反共法の法理を誤解している」として上告した。中川さん側の弁護士は「委員会の決定を無視しており、遺族への二次加害だ」と批判した。

 ▽南北分断の犠牲


再審で判決が言い渡されるソウル高裁の法廷へ向かう、故・崔昌一さんの娘の中川智子さん。中川さんは現在、高校教諭で「人権教育をライフワークにしている」という=5月23日(撮影・金民熙=共同)

 ソウル高裁の裁判官は、再審で無罪を言い渡す際「南北分断がもたらす理念対立の中で誠実な国民が国家暴力の犠牲になった。司法府の一員として深く謝罪する」と述べた。
 中川さんは「南北対立は政治的なことだ。それに利用されたというのは、非常に納得がいかない」と憤る。さらに「謝罪を受けたからといって、父や家族の心の傷が癒えるわけではない」とも話した。
 中川さんは、崔さんが釈放された後に移り住んだ神奈川県藤沢市で育った。「(一家は)韓国人のいる街で『アカ(共産主義者)の家』と言われるのを恐れて、日本人ばかりの街に住んだ。そのような街では私たちは韓国人であることで差別された」。30代半ばで韓国から移住した母は精神的に不安定になっていった。中川さん自身は小学生の時、上履きを隠されたり「国に帰れ」と言われたりするいじめに遭った。
 中学のころは「悪い仲間と付き合い、不良のようなことをやって、その時は差別はなかった」と言う。高校生の時に父、崔さんが56歳で亡くなり、高校を中退した。

 ▽約40人が再審で無罪確定


ソウルで開かれた自伝の韓国語版出版記念会に出席した李哲さん=5月14日(撮影・金民熙=共同)

 中川さんは、被害者らでつくる「在日韓国良心囚同友会」代表の李哲(イチョル)さん(75)=大阪市=に「家族のあなたも被害者です」と言われ、再審に踏み出したという。
 李さんは1975年に「スパイ」とされて死刑判決を受け、2015年に再審で無罪が確定した。今年5月、李さんの自伝の韓国語版出版記念会がソウルで開かれた。多くの関係者が祝いに駆け付けた中、李さんは「監獄にいたことを妻にも話せていない人もいる。なんとかして忘れた過去を思い出したくないと、再審をしたがらない人もいる」と語った。
 李さんによると、1970~80年代ごろに、韓国で北朝鮮スパイとして拘束、投獄された在日韓国人は計70~80人ほどに上る。このうち約40人が、再審で無罪が確定している。

 ▽責任者の処罰がないならば…


獄中の父とやりとりした手紙に目を落とす姜希雪さん=6月12日、ソウル(共同)

 軍事政権期などの国家暴力を調べる「真実・和解のための過去事整理委員会」は、2005年に発足した。軍事政権の流れをくんだ保守系の李明博政権が2010年に活動を停止したが、革新系の文在寅政権が2020年に再開した。李さんら同友会は、スパイとされた在日韓国人らの調査を一括して委員会へ申請したが、他にも多くの案件を抱える委員会は、一部しか調査に着手していない。委員会は法律改正などがないかぎり、来年5月で調査期間が満了する。被害の全容は解明しないままとなる可能性がある。
 韓国・原州市の姜希雪(カンヒソル)さん(56)は、故人である父が、大阪から韓国に永住帰国してイカ釣り漁船で働いていた際にスパイ嫌疑をかけられ、約18年間拘束された。母も共犯として一時投獄され、孤児院を経て、約1年間は、小学生前後のきょうだい4人だけで鉄拾いをして暮らした。近所の人からは「アカの家族」と石を投げられたこともあった。
 姜さんは「父は社会主義者ではあったが、スパイ行為を否定していた」と話す。それでも再審請求はしていない。「無罪になっても当時の捜査官や裁判官は処罰されない。大きい価値を感じられない」と言葉を振り絞った。

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