激痛、嘔吐、15キロのむくみ…私を生かした兄の肝臓 「死んでたまるか」手術から職場復帰までの歩み(後編)
47NEWS / 2024年9月6日 10時0分
肝臓と肺の難病を患っていた私は、27歳だった記者5年目の2023年春、肺の状態が急激に悪化し、事実上の余命宣告を受けた。
病気の原因と考えられる肝臓を取り換えれば進行が抑えられる。移植に向け、治療をハイペースで進めた。家族全員がドナーになることを希望し、話し合いを重ねた末、2歳上の兄の肝臓をもらうことになった。
医師から厳しい言葉を告げられたあの日から8カ月。手術で死亡するリスクもある。「明日のこの時間はもう、この世にいないかもしれない」。歯を食いしばって耐えた夜が明け、私は兄とともに、手術室に向かった。(前編より続く、共同通信=高木亜紗恵)
▽手術へ
肝臓移植の手術までの約1カ月間はとにかく好きなことをして過ごした。演劇を見に行ったり、花の写真を撮りに行ったり。急きょ日取りを早めてくれた姉の結婚式にも出席した。穏やかな毎日だったが、いつも胸の中に大きな塊があるよう。夜は睡眠薬が手放せなかった。
手術が数日後に迫った2023年11月半ば、いよいよ入院が始まった。薬剤師や栄養士、集中治療室(ICU)の看護師が、入れ代わり立ち代わり病室を訪ねて来た。友人や家族との面会もあり、せわしなく過ごした。
どんな状況にあっても、家族や友人から見た自分は「らしく」ありたかった。だから泣くことも取り乱すこともしなかった。でも、手術前日の夜はさすがに気分が落ち込んだ。明日のこの時間はもう、この世にいないかもしれない…。胸が痛くなり、涙が止まらなかった。
それでも、必死に助けようとしてくれている家族を思い、歯を食いしばった。兄は自分を助けるためだけに臓器の一部を取るのだ。家族全員が「ドナーになるよ」と言ってくれたことも思い出した。「死んでたまるか」。天井に向かってつぶやき、睡眠薬を多めに飲んだ。
手術当日の朝は手術着を着て、家族が勢ぞろいする待合室に顔を出した。兄は私を元気づけるためか、いつもの調子で冗談を言っていた。午前8時、同時に呼ばれ、兄と共にエレベーターを降りて別々の手術室へ。どこか夢を見ているような感覚だった。
手術室に向かう兄(左)と記者=2023年11月(画像を加工しています)
名前を確認し、ゆっくりと手術台へ上る。ここから先は自分の意思ではどうにもできない。おなかに手を置き、肝臓の上をゆっくりとなでた。生まれ持った臓器を失うのは脾臓に続き2回目。自分の体に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
看護師の合図で麻酔薬が出るマスクを着け、3秒もたたないうちに何も分からなくなった。11月27日、兄の大きな肝臓の3分の1が、私の体に移植された。手術は8時間に及んだ。
▽痛み、むくみ、震え、下痢…
免疫抑制剤の副作用
翌日の昼下がり。医療機器やゴム手袋のにおいに満ちた個室で、すんなりと目を覚ました。すでに人工呼吸器は外れ、鼻に酸素を送り込むチューブがついていた。3台のモニターが心臓の動きを刻み、時折アラーム音を響かせる。強力な医療用麻薬のおかげで痛みはなかった。
身動きはほとんど取れなかった。両腕と首には点滴から延びたチューブが何本も刺さり、腹帯の下からも、体液を排出したり、腸に栄養を入れたりする管が飛び出ていた。
新しい肝臓を体が拒絶しないよう、大量の免疫抑制剤が投与され、副作用で手足が大きく震えた。間の抜けたような声で看護師を呼び、水をもらう。甘ったるいにおいを感じて受け付けず、一口でコップを置いた。
しばらくして、兄が点滴棒に身を預けるようにして、歩いて病室を訪ねてきた。相当なおなかの痛みをこらえているようだった。調子はどうだと尋ね合う。あまり記憶はないが、私は麻薬でハイになり、冗舌に話していたという。夕方には義母と夫が訪れた。夫は部屋に入るなり、「良かった」と言って涙を流した。
▽悪夢や幻覚と裏腹に、回復していく体
ICUで付けていた日記。体の痛みを訴えている=2023年12月
ICUの生活は規則正しく、決まった時間に採血やレントゲン、エコーなどの検査が行われた。着替えや全身の洗浄は看護師2、3人がかり。自力でできたのは歯磨きくらいだった。夜になるとつらい症状が出始め、だんだんと増していった。呼吸が浅いせいか眠るのが苦しく、まどろむたびに水の中に引きずり込まれる悪夢を見た。目を開ければ看護師が壁を歩いている幻覚が見えた。
麻薬の投与が終わると、体中に耐えられないような痛みが現れた。肩や腰は筋肉痛に似た痛み。腹や首は、突き刺さった管に圧迫されるような痛みだった。我慢できずベッドの上を転げ回り、看護師に押さえつけられた。
手術前50キロだった体重は、多量の点滴によって65キロまで増加。見たことがないほど体中がむくんだ。また手術や大量の薬の影響で、下痢と嘔吐を繰り返した。10日間は同じ症状が続き、ぐったりした。
リハビリを卒業するまでは、ベッドのすぐ隣にポータブルトイレを置いて用を足した。とにかく早く自立したくて、看護師の前でなるべくたくさん歩いてみせた。食事が食べられたりうまく排せつができたりすると、安心して涙が出た。
こうした症状のつらさとは裏腹に、全身の機能は着実に回復し、安定していた。主治医は「順調すぎるくらい順調」という言葉を毎日かけてくれた。ポコンと膨らんだ右の腹部も、「ここに立派な肝臓があるから、大丈夫」と言ってくれているようで、先の不安はほとんどなかった。
▽移植者として
退院数日前、病院内の中庭。クリスマスツリーが飾られている
重症度が低いICUに移動してしばらくたつと、痛みを忘れられる時間が増え、家族と普通に話ができるようになった。塗り絵をしたり、スポーツ雑誌を読んだりする余裕も生まれた。
そんなある日、突然主治医の口から「退院」という言葉が出た。年内に退院できるとは夢にも思わず、一層リハビリに励んだ。
移植者は免疫抑制剤を使用しているため、感染症にかかりやすく重症化しやすい。ペットがいる実家とは別の場所にアパートを借りて、エアコンの清掃をするなど、家族は大急ぎで退院の準備を進めてくれた。
移植から22日目の12月19日、ついに退院。おなかにはチューブが刺さり、痛みも治まっていない。それでも久しぶりに外の空気を吸えたことがうれしく、一日中はしゃいだ。
自宅に戻ってからも、チューブから流れ出た胆汁を点滴でおなかの中に戻すといった処置を続けた。Lの字を反転したような傷痕は、医療用のホチキスが刺さったまま。時々血がしみ出し、パジャマを血だらけにした。少しずつ元の生活を取り戻すため、車いすで近所に出かけた。
24年2月にはチューブやホチキスが抜けて、体が自由になった。そして3月、肺高血圧症の検査を実施。肝移植の効果で数値は大きく改善していた。どこまで良くなるかは未知数だが、進行は止まったと考えられた。
移植手術後に飲んでいる薬。免疫抑制剤などを含む
いよいよ職場に戻るイメージがつき、復職したい旨を上司に伝えた。会社には過去に肝移植をして記者職に戻った例がなかったが、上司らの理解もあり、5月、職場復帰を果たした。
久しぶりにスーツに腕を通し、慣れ親しんだ職場へ足を運んだ。人事異動を経てすっかりメンバーは入れ替わり、多くの同僚に「はじめまして」とあいさつ。今、治療を受けられた喜びを噛みしめながら、パソコンに向かってキーボードを叩いている。
これからは記者であって、移植者でもある。そんな自分にどんな記事が書けるか、問いかける毎日だ。
【前編はこちら】「数年で死、手術もできない」難病進行、異常な息切れ 命をつなぐため肝臓移植へ…記者が知ってほしい「臓器をもらうとは」(前編)
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