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「一緒に先生になろうね」亡き親友と14年前に誓った夢は目標になった 自分は被災者なのか―葛藤も胸に経験語る21歳教育大生

47NEWS / 2025年2月4日 9時0分

震災遺構・門脇小前で、被災経験を話す高橋輝良々さん=2024年9月、宮城県石巻市

 「一緒に小学校の先生になろうね」。宮城教育大3年の高橋輝良々(たかはし・きらら)さん(21)=宮城県石巻市=は、小学1年の時に東日本大震災の津波で失った親友との約束を今も忘れない。つらい思いや葛藤を抱え、自分の被災経験にも向き合う中で、記憶の中で変わることのない面影に支えられ、歩んできた。「子どもたちの命を守れる教員になる」。誓った夢は、いつしか目標になった。(共同通信=大石祐華)

 ▽あの日

 石巻市の門脇小1年だった3月11日、下校中に地震に襲われた。近くの墓石が倒れ、ゴーと地鳴りが響く。「戻ろう」。同級生の一言で校庭に向かう。他の児童や教職員と裏山に駆け上がった。
 雪が降る公園で肩を寄せ合っていると、頭の上からブルーシートをかぶせられた。雪をしのぐためか、津波を見せないための配慮だったのだろう。周囲ではサイレンや車のクラクションが鳴り響いていた。


 約1カ月後、別の場所で授業は再開したが、転校した児童も多く同級生は半分に減っていた。誰に言われたのでもなく、「あの日」のことを触れてはいけない空気が漂っていた。

 ▽親友との約束

 津波は、親友を奪った。下校して海に近い自宅に戻り、母親とともに犠牲になったと聞いた。
 幼稚園からいつも一緒だった。ある日の休み時間、校庭のジャングルジムに登り「小学校の先生になりたいんだ」と話すと、親友は「わたしも。一緒になろう」と目を輝かせて言った。
 夢は今も変わらない。

 ▽生きた証し


クレヨンの写真を見つめる高橋輝良々さん=2024年9月、宮城県石巻市

 門脇小は海岸から約800メートルの場所にあった。1階部分が津波で浸水し、燃えた家屋などが押し寄せて校舎は延焼。その後、長く立ち入り禁止となった。
 2022年4月、校舎は津波と火災の痕跡を残す全国唯一の震災遺構として一般公開された。その夏、震災後初めて訪れた。校舎を歩くと、みんなと過ごした思い出がよみがえる。
 展示された1枚の写真が目に留まった。火災を免れた教室の机に置かれたクレヨン。よく見ると、忘れたことのない名前が書かれたシールが貼られていた。「ちゃんといたんだよね」。生きた証しを見つけ、涙があふれた。

 ▽あなただけの教材


親友とともに過ごした教室の写真を見つめる高橋輝良々さん=2024年9月、宮城県石巻市

 震災で、多くの人が大切な家族や家を失った。「家族も自宅も無事だった自分は被災者なのか」。本来は幸せなことのはずなのに、「石巻出身」「門脇小生」の言葉から世間が想像する被災者のイメージと自分との差に、負い目を感じた。
 「被災者という言葉は自分にふさわしくないのでは」。そう自問し、人前で被災経験を話すことをためらっていた。

 転機は2023年の夏。震災当時に門脇小の校長だった鈴木洋子さん(74)との再会だった。
 防災教育を学ぶ大学の自主ゼミ「311ゼミナール」で当時の門脇小の避難を追体験することになり、鈴木さんの家を訪ねた。
 あの日先頭に立って命を守ってくれた信頼する先生だからこそ、きっと気持ちを受け止めてくれるはず―。被災経験を語ることへの葛藤、校庭で交わした約束。すべて打ち明けた。
 鈴木さんは「その思いを自分の言葉で語ることができるのはあなただけ。子どもたちを守る、あなただけの教材になる」と優しく言った。その言葉に背中を押され「震災の教訓を伝える一員になりたい」と思うようになった。

 ▽思い出を言葉に


親友からもらった鉛筆と、渡すはずだったメッセージカード

 2023年12月、知人からの依頼で、地元の中学生に初めて自身の経験を語った。手には親友からもらった鉛筆と、次回の授業で渡すはずだったメッセージカードを握りしめて。一緒に過ごした時間を証明してくれる心の支えだ。話し終えると、心が軽くなった気がした。胸にしまっていた思い出を言葉にすると、大切さが増した。
 現在は、大学で教員を目指す勉強に励みつつ、震災遺構の案内役を務める語り部育成の研修を受けている。「犠牲になった命を無駄にしない」。亡き友を思う。

 ▽手紙


クレヨンの写真の前で、親友との思い出を話す高橋輝良々さん=2024年9月、宮城県石巻市

 震災翌年から毎年、3月11日が近くなると親友に宛てて手紙を書いている。想像できるのは7歳の姿だが、離れた場所で一緒に年を重ねていると信じ、思いをはせる。
 2024年7月、教育実習で念願だった教壇に立った。幼い日の約束、夢をかなえるまでもう一歩のところまできた。
 「今を一生懸命生きることができるのは、あの時夢を一緒に見てくれた時間があったから。ありがとう」。震災14年。彼女にそう伝えるつもりだ。

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