フカヒレ専門店・廣翔記 代表の「6分間簡単調理のフカヒレ姿煮」開発への想いをご紹介

@Press / 2012年4月25日 15時0分

 鉄人のフカヒレ専門店 横浜中華街 廣翔記(本店:神奈川県横浜市中区、運営:株式会社廣田商事)では、ご家庭で調理できる「6分間簡単調理のフカヒレ姿煮」を2012年2月に店頭及びインターネットで発売し、多くのお客様からご好評いただいております。
 そこでこの度、「6分間簡単調理のフカヒレ姿煮」を通じてお客様とご縁をいただけたことに心より感謝し、廣翔記 代表・廣田 翔の開発にかけた想いをご紹介させていただきます。


(1)廣翔記 代表・廣田 翔(ひろた しょう)の物語
 1974年(昭和49年)中国東北地方 ― 遼寧省営口市という小さな港町で、一家の長男として生まれました。祖父は軍人、両親は公務員で、通学は祖父が使い込んだ古い自転車を乗るほど貧しい家でした。1990年代、東北地方で日本留学ブームが起き、専門学校を卒業したばかりだった20歳の廣田(以下 私)も、先進国かつ民主主義の日本を見てみたい一心で、1994年10月に、残留孤児の親戚である「入角おじさん」のツテで日本留学を果たしました。その際、母親は家の全財産を日本語学校第一学期の学費と日本行きのチケットに替えてくれました。

 大連から飛び立った機内から初めて富士山を見た時はすごく感激し、希望に満ちたワクワクの気持ちでいっぱいでした。「若い女性自ら散歩の犬の糞を持ち帰るほど、街並みはゴミ一つ落ちておらず、また電車は駅のホームドアマークの所に分単位で時刻表通りに来て、ドアを開けてくれたことに感動し、日本って凄い国だな」と思いました。

 日本語学校は横浜の飛鳥学院で、第一期の学費しか納めていなかったため、その当時の留学生と同様、学校に通いながらバイトをし、自分で学費と生活費を稼がなければいけませんでした。

 学校は横浜にあるため、自然に華僑が生活している横浜中華街に働き口を捜しに行きました。たどたどしい日本語で「バイトしたいですけど、募集していますか?」と一店舗一店舗飛び込みでまわりました。運よく新規開店の「頂好菜館」(現 有限会社大原商事)から面接の機会をもらい、「あまり日本語が分からないのですが、なんでも一生懸命働きます。」とアピールし、ホールスタッフとして採用していただきました。来日1ヶ月後のことでした。いきなり本格中華レストランのフロアデビューをしましたが、「お冷」や「おしぼり」といった中国で学んでいなかった日本語に直面して失敗の連続でした。

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