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「女性が袖のないものを着たり、乳房を見せる服装を…」金正恩が“金日成ルール”を破ってでもノースリーブを流行らせようとする「しょうもない理由」とは

文春オンライン / 2024年7月10日 6時0分

「女性が袖のないものを着たり、乳房を見せる服装を…」金正恩が“金日成ルール”を破ってでもノースリーブを流行らせようとする「しょうもない理由」とは

金正恩総書記 ©AFP=時事

 7月8日は北朝鮮の金日成主席が1994年に死去してから30周年にあたった。2014年の20周年、19年の25周年に続き、今年も金正恩総書記が参加して金日成広場で中央追悼大会が行われた。2011年末に十分な準備もなく、最高指導者になった金正恩氏は従来、偉大な祖父を模倣することで求心力を維持してきた。オールバックにした髪型、恰幅のよい体形、よく着用する薄いグレーの背広、麦わら帽子をかぶって一般大衆が働く農場や工場を視察する姿などなど、枚挙にいとまがない。

 現代でも祭事(チェサ)や、孝行の道を意味する孝道(ヒョド)にうるさい北朝鮮で、追悼大会を派手にやったことは当然としても、最近、金正恩氏の「ジジ離れ」を思わせる動きが相次いでいる。その1つが「金正恩バッジ」の登場だ。6月30日付の労働新聞が、前日の朝鮮労働党中央委員会拡大総会の様子を伝えたが、幹部たち全員が金正恩バッジを着用していた。従来は、金日成主席と金正日総書記の2人が並んだバッジが一般的に使われていた。

バッジをつけないと、「生活総和」の場で厳しく批判される

 北朝鮮で初めて「金日成バッジ」が登場したのは1970年代初めだった。金正日氏が内定していた後継者の地位を確実なものにするため、父親の神格化を進めた。バッジはそのための道具の1つで1972年4月の金日成氏の還暦までに、子供を除く北朝鮮市民全員にバッジが行きわたった。北朝鮮の狡猾なところは、法律で強制するわけではなく、あくまで「忠誠心の証」として市民が自発的にバッジを着用しているというナラティブ(物語)を作ったところにある。バッジは市民が10代半ばになって青年組織に入ると同時に渡される。外出の際につけないと、毎週末などに行われる、強制的な反省会である生活総和などの場で、厳しく批判される。

 日本でも2021年に公開されたドキュメンタリー映画「ザ・レッド・チャペル」(マッツ・ブリュガー監督)では、北朝鮮の通訳兼案内人の女性、ミセス・パクが金日成バッジについて「これは売り物ではない。つけることができたら名誉だと思うべきだ。いつも心臓の近くにつけるのだ」と説明する場面が出てくる。

脱北した朝鮮労働党元幹部が語った、「金正恩バッジ」に滲む“思惑”

 その忠誠心の象徴とも言うべきバッジのデザインを金正恩氏1人に絞った。北朝鮮を脱北した元労働党幹部は「金正恩の自信のなさの表れ」だと指摘する。父、金正日総書記のバッジもあったが、主に治安機関の要員らが着用し、一般には広く流通していなかった。

 元幹部は「金正日は自分の権力に自信があった。人々が本心で自分に忠誠を誓っていないことは知っていたが、力で押さえつけられるという確信があった」と語る。金正日氏自身のニヒリズムもあったかもしれないが、あえて人々に「忠誠の踏み絵」を踏ませることもないと考えていたようだ。

 金正恩氏の場合、祖父のようなパルチザン仲間や、父のような北朝鮮で一緒に学んだ学友がいるわけではない。金日成氏が、金正恩氏の母親の高英姫氏と金正日氏の結婚を正式に認めなかったため、幼少期は存在がほぼ秘密にされていた。当然、幼いころから親しくしていた側近もいない。

 金正恩氏は昨年末に開かれた党中央委員会拡大総会で、韓国との関係を「敵対的な2国間関係」と定義し、「根本的に闘争の原則と方向を転換すべきだ」と宣言した。元幹部は「北朝鮮の市民は韓国の文化や生活にあこがれている。黙っていたら韓国に吸収されてしまうと考え、韓国は敵だと訴えたのだろう」と話す。こうした余裕のなさが、人々に「忠誠の踏み絵」を踏ませたい動機になったのだろう。

 しかし、民族統一こそ、金日成氏が掲げた悲願ではなかったのか。北朝鮮の元駐英公使だった太永浩氏の著書「 三階書記室の暗号 北朝鮮外交秘録 」(文藝春秋)によれば、金日成氏は1990年に南北国連同時加盟の話が持ち上がると、「2つの朝鮮」をつくって、分断を固定化しようとする「帝国主義国家の策略である」として真っ向から反対したという。金日成氏がまだ生きていたら、金正恩氏の「敵対的な2国間関係」という定義を聞いて卒倒しただろう。

党幹部による「忠誠競争」の中身とは

 一方、金正恩氏の周囲には「忠誠競争」という名の、おべっか競争を繰り広げる側近たちがいる。ある意味、北朝鮮も普通の会社組織のようなものだ。金正恩氏の周りには、自分が出世するため、最高指導者にこびへつらおうとする幹部であふれている。金正恩氏は1月8日で満40歳になった。側近たちは金正恩氏に「40歳になったことだし、もう独り立ちしてもよろしいのでは」とささやいたことだろう。

 北朝鮮メディアは今年5月、党中央幹部学校で、初めて金正恩氏の肖像画が金日成、金正日両氏に並んで飾られている様子の写真を伝えた。今年4月に訪朝した日本の主体思想国際研究所関係者に対し、李日煥党書記が「金正恩革命思想を新たに整理している」と語っている。ロシアのプーチン大統領が6月に訪朝した際は、妻の李雪主氏や「キム・ジュエ」とされる娘を一切登場させず、佐良直美の「世界は二人のために」さながらの、ツーショットを繰り返し、男同士の熱いブロマンスを演出した。

 元党幹部は「北朝鮮の幹部たちは、誰が一番早く、最高指導者の神格化作業を提案するのかという点で競い合っている。神格化をする場合、それなりの論理と裏付けが必要だし、最高指導者自身が必要ないと拒めば、逆に政治的に窮地に立たされる。でも、その提案が最高指導者に受け入れられれば、政治的に大きな得点になる」と語る。バッジひとつとっても、側近たちの阿諛追従(あゆついしょう)に簡単に応じなかった金正日氏と異なり、不安でいっぱいの金正恩氏は「おだて甲斐」のある「軽い神輿」ということなのだろう。

 北朝鮮は最近、4月15日の金日成生誕記念日を「太陽節」と呼ばなくなった。金日成氏は長く、「民族の太陽」と呼ばれてきたが、祖父の存在自体が、金正恩氏の神格化にとって邪魔になってきたのだろう。

金日成がたしなめた服装を、金正恩の夫人と愛娘が...

 ジジ離れはほかにもある。金正恩氏は5月14日、平壌・前衛通りの竣工式に出席した。同席したジュエ氏は、両腕の部分が透けて見えるシースルーの服を着ていた。シースルーは昨年くらいから、欧米を中心に流行が始まっていた。

 また、ジュエ氏の母、李雪主氏は一昨年7月27日に平壌で開かれた朝鮮戦争の「勝利(停戦)」69周年行事で、白いノースリーブ姿で登場していた。西側の流行も追いかけたいし、母親がノースリーブを着たんだから、娘も腕の部分が見えるシースルーくらいなら大丈夫だろうという判断なのかもしれない。朝鮮中央通信は5月30日、早速、腕の部分がシースルーになっている女子児童の写真も公開した。ジュエ氏を「ファッション・リーダー」のように、人々の注目を集める人物として売り込みたい思惑も透けて見える。

 ただ、金日成総合大学に留学経験があるアンドレイ・ランコフ韓国国民大学教授は著書「民衆の北朝鮮」(花伝社)で、金日成氏が1982年の最高人民会議(国会)での演説で明らかにした、ファッションに対する考え方を紹介している。金日成氏はこう言った。「女性が袖のないものを着たり、乳房を見せる服装をしたりするのは、社会主義の生活様式と合致しません」

金正恩が打ち出した「ジジ離れ」が抱える“矛盾”

 何も40年以上も前の基準に合わせなくてもいいだろう、という意見も出そうだが、北朝鮮の場合は事情が違う。金日成氏は、北朝鮮の人々にとって文字通り、神のような存在だ。労働新聞は今月7日付の記事で、「朝鮮の強さ、全ての勝利と栄光の根は、領袖(金日成氏)の歴史を絶え間なく継いでいく偉大な継承にある」と訴えている。もっとも、同じ記事では「金正恩朝鮮労働党総書記の意志に従う道に金日成主席の永生がある」とも主張している。要するに「金日成氏は絶対的な存在だが、ジジ離れしても問題ない」と取り繕っているわけだ。

 問題は、ジジ離れすればするほど、「金日成氏の孫」という、これまで自分の権力の正統性を支えていた唯一の根拠をぶち壊すことにならないのかという点だ。金正恩氏もその点は大いに不安なのだろう。6月末から開かれた党中央委員会拡大総会では「司法制度の強化」「幹部の活動方法の改善」などを決めた。みんなが勝手な動きをしないよう、どんどん締め付けるという意味だ。

 普通、どこの国でも独り立ちしたら、自分で自分の面倒を見るのが当たり前だが、北朝鮮だけはそういうわけにはいかないらしい。

(牧野 愛博)

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