追悼・大山のぶ代 マネジャーが告白「ドラえもんを棺に入れて…」
文春オンライン / 2024年10月29日 11時0分
大山のぶ代
「私にとっては家族同然。母のような存在でした。危篤の一報を聞いて病院に駆けつけたのですが、臨終に間に合わなかった。それが本当に悔しくて……」
涙ながらにこう語るのは9月29日に老衰で亡くなった女優で声優の大山のぶ代(享年90)のマネジャーを35年以上務めた、小林明子さんだ――。
◆◆◆
喉に神経質なほど気をつかっていた
国民的キャラ「ドラえもん」の声を1979年から2005年まで約26年間にわたり演じ続けた大山。原作者の藤子・F・不二雄が「ドラえもんってこんな声だったんですね」と評した“愛嬌のあるだみ声”を維持するため、神経質なほど気をつかっていたという。
「バッグの中にはいつも風邪薬とのど飴が入っていて、少しでも喉に『あれ?』って感覚があるとすぐに薬を飲んで予防していました。あんまりにも頻繁だったから、本当に風邪をひいたときに薬が効かないのではないか、と心配しました」(小林さん)
常に「ドラえもんファースト」だった大山
大山は常に「ドラえもんファースト」で仕事に取り組んできた。だが、そんな国民的番組の放送継続に黄色信号が灯ったことがあった。01年7月、大山が直腸がんを患い、治療のため長期入院を強いられたのだ。
「入院のため声の収録ができなくなり、録(と)りだめていたストックもなくなった。その当時、大山の病気は音響の担当者などごく限られた関係者だけが知る極秘事項でした。番組に穴を開けないように大山は、一時外出の許可をもらい、本人のみの声の収録をするため病院からドクターを伴ってスタジオに向かった。マイクの前では私が身体を支えて、なんとか立っていられる状態でしたが、いざ本番になると、いつものドラえもんのだみ声がお腹の底から出てきて。本当にすごい人だなと思いました」(同前)
収録が終わった瞬間、スタジオには自然と拍手が湧き起こったという。
夫は「初代たいそうのおにいさん」
まさにドラえもん一筋の大山を支え続けたのが、夫で俳優の砂(さ)川(がわ)啓介(17年に死去)だ。2人は舞台『孫悟空』(1963年)で共演。砂川は当時すでに「初代たいそうのおにいさん」として人気を博していた。共演から間もなく交際を開始し、64年に結婚。砂川と10代の頃から親交のある俳優の毒蝮三太夫(88)が回想する。
「啓介が初共演した時の写真を見せてくれたことがあった。三蔵法師役で馬に乗っているペコ(大山の愛称)の写真なんだけどさ、小さくて本当にかわいかった」
夫婦の悲劇
そんな夫婦を悲劇が襲う。大山は66年に男の子を死産。その6年後に女の子を出産するも、生後3カ月で亡くしてしまう。
「それもあったのかな、ペコは世の中の子供を自分の子供だと思っているようなところがあった。パン屋で商品棚に置かれたパンを手に取って、また元に戻す子供を見たときには『買わないんだったら触っちゃだめよ』と、見知らぬ子を優しく叱るんだ。まるでその子の母親のようにね。そんなだから、何回も仲間から子供の名付け親をお願いされていた」(同前)
芸能界きっての「おしどり夫婦」
大山と砂川は芸能界きっての「おしどり夫婦」としても知られた。仕事で地方に出かけた大山は帰りの新幹線の中から必ず砂川に電話をかけたという。
「『今乗ったから!』『何時に着くから』って。時には2人で台所に立って、大山が作った料理を砂川さんが味見して、『生姜入れたほうがいいな』なんてアドバイスしたり」(小林さん)
脳梗塞で倒れ、会話もままならぬ状態に
2005年、ドラえもんを降板。その後もタレントとしてテレビやラジオの出演を続けた大山。だが、08年4月、専門学校の声優部の講師に出向いた時に脳梗塞で倒れてしまう。
「病院にいる大山から『ちょっと具合が悪い』と電話がありました。医者からは血栓が脳に飛んで呂律が回らなくなったと。私が翌日に病院に行くと会話もままならぬ状態で。約1カ月後にリハビリが始まったのですが、『2+4』の足し算ができない。全部掛け算になって出す答えが『8』になるんです」(同前)
その後、徐々に大山の態度や行動が変わっていった。12年秋にはアルツハイマー型認知症の診断を受ける。それから3年後の15年に大山の病気を砂川がラジオで公表した。当時の様子を毒蝮が明かす。
「病気が分かった当初、啓介は『ドラえもんのイメージが壊れてしまう』と公表を躊躇っていた。でも13年に啓介自身にも胃がんが見つかってね。必死に老老介護を続けていたんだけど、目に見えてやつれていった。それで『1人で全部背負ったら、お前のほうが参っちゃう。介護は人に助けてもらわないとダメだよ』って助言したんです」
砂川は最後まで妻の世話を続けた。「ペコより先に逝けない」と繰り返したが、17年にがんで死去。
最愛の夫を亡くした後の大山
「砂川さんの通夜の前日に大山を砂川さんが眠る棺の前に連れていき、お顔を見てもらったら大山は一言、『お父さん!』と言いました。その後、病気が段々と進むとたまに誰かを見て、『啓介さん』と旦那さんの名前を呼ぶことがありました」(小林さん)
その後、最愛の夫を亡くし、施設で生活を続ける大山を小林さんは毎日のように見舞った。だが、大山は今年に入り、発熱などで入退院を繰り返すようになり、9月19日に再入院。そして29日に静かに息を引き取った。親族と小林さんらによって葬儀はしめやかに営まれたという。
「棺には砂川さんの写真と大山が好きな虎屋の栗ようかん、ドラえもんのぬいぐるみなどを入れさせていただきました。すでに納骨を済ませ、砂川さんやお子さんと一緒のお墓に眠っております」(同前)
ドラえもんと共に生きた大声優。彼女の人生の最終回は天国で最愛の夫と再会する場面だったに違いない。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2024年10月24日号)
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