「これ、がんじゃんかよ。お医者さんになんて言われてんだよ!」人気料理人・笠原将弘が思わず声を荒げた亡き妻が“がんと診断された瞬間”――2024年読まれた記事
文春オンライン / 2025年1月10日 6時10分
撮影 榎本麻美/文藝春秋
2024年、文春オンラインで反響の大きかった記事を発表します。男性著名人部門の第4位は、こちら!(初公開日 2024/08/31)。
* * *
東京・恵比寿の日本料理店「賛否両論」は2024年で開業20年目を迎える。その華やかな成功の陰には、母・父、妻を失った壮絶な苦しみがあった。ここでは『 賛否両論 -料理人と家族- 』(主婦の友社)より一部抜粋し、最愛の妻“えーりー”さんががんと診断された日々を辿る。(全2回の後編/ 前編 を読む)
◇◇◇
僕は、「賛否両論」のコースの値段を、ディズニーランドの入場料と同じ設定にした。
当時、フレンチやイタリアンにはデートで行けても、日本料理の敷居はまだまだ高く、若者がデートで使える価格にしたかった。毎日は難しくても、特別な日に、ちょっとがんばれば通える店。
日本料理を、もっと身近にしたかった。
雑誌の取材を受けたときには、「ライバルはディズニーランドです」と答えてきたが、じつはディズニーランドは、えーりーと子どもたちとの思い出が詰まった場所でもある。
えーりーは、ディズニーランドが大好きだった。
なんでそんなに好きだったのか、理由は聞いたことがない。
「賛否両論」を開店してからさらに忙しくなった僕にとって、家族とゆっくり過ごせる時間は、店の定休日に確保できるかどうか、といった具合。僕はそんなにしょっちゅう行っていたわけではないけれど、子どもが1人から3人に増えてもなお、ディズニーランドは彼女にとって「夢の国」だったと思う。
末っ子の長男が小学校に上がったころ、僕はたまたま休みで家にいた。
この日のことは、いまでも忘れられない。
突然、えーりーが言った。
「ちょっとこれから病院に行ってくる」
「え、どうした?」
「生理でもないのに、すごく出血してて……」
女性の体のことは男の僕には詳しくわからないということを差し引いても、そのころのえーりーは、特段体調がわるそうでもなんでもなかった。病気の兆候は、いっさいなかった。
えーりーは、「こんなに出血するなんて、ちょっとこわい」と言った。
その日は近所の病院で検査を受け、大きな病院で診てもらったほうがいいということだったが、ちょうど夏休み期間で、数日後に子どもたちを連れて沖縄に帰省する予定だったこともあり、看護師のお姉さんが勤めている病院で再検査を受けることになった。結果がわかるのは、少し先とのこと。
僕はそれを見た瞬間、青ざめた
僕は仕事の兼ね合いで遅れて沖縄に合流し、東京に戻る空港へのタクシーのなかでえーりーとふたりになり、診断書を見せられた。彼女はよくわかっていないようだったが、僕はそれを見た瞬間、青ざめた。
文字でわかる。
親父のときと一緒だ。
これは、がんということだろう、と。
子宮頸がんだった。
他人事みたいな顔をしているえーりー。
僕はいらついて、つい言ってしまった。
「これ、がんじゃんかよ。お医者さんになんて言われてんだよ!」
目の前を、いろんな景色がフラッシュバックした。
東京に戻り、診断書を持って大きな病院へ行くと、すぐに手術することになった。
「絶対に治る方法でお願いします」
僕は医師に懇願し、あらゆる方法を探った結果、子宮を全摘出することになった。えーりーからするとショックだったかもしれないけれど、変な話、すでに子どもを3人産んだわけだし、えーりーの命のほうが大事だと思った。
とにかく。早期に見つかってよかった。
僕もえーりーも、これで治るだろうと思った。
少なくとも僕は、祈るようにそう信じていた。
その後、えーりーのいちばん上のお姉さんが沖縄から東京に戻ってきて、僕たちと一緒に住むようになった。
結婚前、えーりーと西小山でふたり暮らしをしていたお姉さん。
えーりーの手術はうまくいったが、念には念をということで、抗がん剤治療が始まり、家事、子育て、えーりーの身の回りの世話などを、お姉さんが手伝ってくれることになったのだった。
お姉さんには、いまでも頭が上がらない。
翌年の夏、家族みんなで沖縄に行って、プールで泳げるくらいには元気になったえーりー。「おなかの傷が隠れる水着を買わなきゃ」とうれしそうに話しているようすに、僕もすっかり安心していた。
ところが。
定期検診で、小さな影が見つかった。
ちょっと思い出すのがつらい。
軽い手術のあと、再び抗がん剤治療を始め、髪の毛を剃り、かつらをかぶって、病院から家に戻ってきて。
何回入退院を繰り返したのだろうか。
僕の記憶も、もう朧げだ。
だめだ。混乱している。
僕は思った。
ずっとついていてあげたい。 だけど、「賛否両論」が猛烈に忙しくなってきた時期で、仕事を休むわけにはいかなかった。
初めのころは、「病院のごはんはおいしくないから何か買ってきて」と言っていたえーりーも、入院生活が長くなるにつれて、食べる量が減っていき、見た目にも痩せていった。お袋と親父を見てきた僕は、なんとなくこれはよくないと感じたていたが、えーりーや子どもたちには、精一杯ふつうの生活を送らせてやりたいと思った。
仕事なんて、しなきゃよかった
ある日、えーりーは子どもたちと一緒に沖縄に行きたいと言った。飛行機に乗る気力が湧いたのかと思うとうれしくなったが、そのときも、僕は仕事で一緒に行けなかった。
飛行機での移動がこたえたのだろうか。
沖縄での滞在中、えーりーの体調がかなりわるくなった。
「病院で点滴を打つと楽になるけど、脱水症状になってしまって……。すぐに東京の病院に入院したほうがいいから、お願い、空港まで迎えに来て。子どもたちはこちらでみておくから」
お姉さんからの電話を受け、僕は急いで羽田へ向かった。お姉さんに付き添われて到着口に現れたえーりーは、車椅子にのっていた。
僕は、いつものように、あとから追いかけて合流するつもりだった。
あのとき、仕事なんてしないで、沖縄に一緒に帰っていれば、最後に家族みんなで沖縄で過ごせたのに。
僕は、仕事を優先した。
「賛否両論」の日々の営業だけでなく、雑誌だ、テレビだ、外からの仕事が一気に押し寄せて、絶好調に忙しくなってきた時期だった。
仕事なんて、しなきゃよかった。
(笠原 将弘,中岡 愛子/Webオリジナル(外部転載))
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