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なぜ“交際期間1年になる恋人”を拒絶したのか…? 妻が明かす「安田大サーカス団長が恋人を家に絶対に入れない」驚きの理由「怪しいけど、グレーにしたほうがいいのかな」

文春オンライン / 2025年1月13日 11時0分

なぜ“交際期間1年になる恋人”を拒絶したのか…? 妻が明かす「安田大サーカス団長が恋人を家に絶対に入れない」驚きの理由「怪しいけど、グレーにしたほうがいいのかな」

安田大サーカス・団長の奥さんで、フリーアナウンサーの安田さちさん。インタビュー前編では2人の出会い、結婚するまでを伺った ©志水隆/文藝春秋

「交際1年経っても、彼は一度も自宅のマンションに入れてくれなかったんです」

 夫は有名トリオ「安田大サーカス」の団長である、フリーアナウンサーの安田さちさん。インタビュー前編では、彼女が団長と出会い、結婚に至るまでの経緯を直撃。5回も求愛するほど好意を抱いていた恋人を、交際から1年経つにもかかわらず「自宅に入れなかった」団長は何を考えていたのか?(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◆◆◆

「団長との交際」に周囲は大反対

――団長との出会いは、何がきっかけだったのですか?

安田さち(以下、安田) 2007年に、私が司会をした名古屋のイベントにゲスト出演してくれたのが、初めての出会いでした。私は大学卒業後、地元の名古屋で芸能活動をしてたんです。「愛・地球博」で、イベントのMCをさせてもらったことから、司会のお仕事が増えていきました。

 最初にご挨拶をした時から団長は様子がおかしくて、本番のネタ中も客席ではなく、舞台の端にいる私のほうばかり見ていました(笑)。イベント終了後に、安田大サーカスのマネージャーさんから、「団長と一緒に写真を撮ってくれませんか」と言われました。当時、大人気の安田大サーカスが、「なぜ無名の私と写真を撮りたいのだろう」と困惑しました。写真撮影のあと私が帰ろうとすると、クロちゃんとHIROくんが「団長、電話番号聞きなよ!」と一生懸命言ってくれたんです。今振り返ると、団長と縁が繋がったのは2人のお陰だなと思います。

――その後、どんなアプローチがあったのですか?

安田 団長は忙しいなか何度も連絡をくれました。すぐに新幹線に乗れるように、名古屋駅の近くのお店で1時間だけ一緒にご飯を食べるために、何度も東京から来てくれました。いつもタンクトップに短パンというワンピースのルフィみたいな格好で目立ってましたね。

 団長からは5回くらい「付き合ってほしい」と言われましたが、かなり迷いました。周囲から、「芸人さんは遊んでるからやめたほうがいいよ」と止められていたんです。

――お付き合いをするきっかけはあったのですか?

安田 ある日、団長がお店でグラスを落として割ってしまったことがあったんです。その時の様子から、「グラスを落とすほど、私と一緒にいることに緊張してるんだな」と伝わってきました。「裏表がない人なんだ」と思えるようになったことが大きかったです。

 それに、自分のやりたいことに真っ直ぐ突き進む団長のことを知るうちに、「世の中に顔のいい人や背の高い人は沢山いるけど、団長みたいな人には二度と出会えない」と思うようになりました。団長は、「2つの道があったら、絶対に困難なほうを選ぶ」と日頃から言っているのですが、私は楽なほうを選んできたタイプなので、「この人といたら、自分も変われるかも」と感じたこともあり、お付き合いすることを決心しました。

――交際してから、何か変化はありましたか?

安田 お付き合いしてからは、私のほうがベタ惚れになってしまいました。団長はデート中にスタスタ先に行ってしまうのですが、「待ってくれないなんて男らしい…!」と全て良いほうに捉えていました。段々と団長の顔が山Pに見えるようになり、それを私が「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ)で話してしまった時は、ファンの方から「全然似てない!撤回して!」と苦情が殺到しました。当時はそのくらい夢中でしたね(笑)。

団長が「自宅に入れてくれない」驚愕の理由

――東京と名古屋の遠距離恋愛は大変でしたか?

安田 私が東京に会いに行く時は、いつもホテルをとってくれていました。でも、交際1年経っても、彼は一度も自宅のマンションに入れてくれなかったんです。その話になると、いつも黙り込んでしまいました。ある時ついに、「今日マンションに入れてくれないなら別れる」とまで言うと、1時間程の沈黙の後「占い師に、『大事な人は家に入れてはいけない』と言われた」と理由を絞り出してきたんです。

「今の家は風水的に悪いから、引っ越したら入ってもいいよ」と、その家を引き払って同棲を始めるまでは一度も家に入れてくれなかったです。怪しいとは思いましたが、「グレーにしておいたほうがいいのかな」という思いがあり、それ以上は追及しませんでした。今でも周りの人からは「グレーどころか、真っ黒でしょ」と言われます。

――当時、怪しい出来事は他にもあったのですか?

安田 新婚の頃までは、「団長が女性と一緒にいる」という目撃情報が、元芸能リポーターの井上公造さんのウェブサイトによく掲載されていました。「あれ? これは私じゃない」と思うことがよくありましたね。

「誰と一緒にいたの?」と問い詰めると、団長は「髪の長い男芸人だ」と言っていました。本人の口から聞くと、「そうなのかな」という気がしてしまって(笑)。あまりしつこく聞くと、「大人同士が仲良くするのには努力が必要。ネットで俺のことを調べたりするのは、その努力を放棄してる」と怒り出すので、いつも言いくるめられていました。当時は団長のスマホを見たりしていたのですが、今は怪しい態度はないし、私が疑ったりすることは無くなりました。

9時間待ちの「プロポーズ大作戦」の結末は…

――2009年7月に、団長が精巣捻転で手術したことがありましたね。

安田 夜中に自宅で「お腹が痛い」と言い出したのですが、団長は普段から大袈裟なところがあるので最初はあまり気にしていなかったんです。でもしばらくすると、のたうち回るくらい苦しみ出したので、私は気が動転して救急車を呼ぶことを思いつかず、ママチャリの後ろに乗せて病院に行こうとしました。「後ろに乗って!」と言うと、「乗れへんわ!」と(笑)。今でも団長に、「あれはひどかった」と言われます。幸い精巣は切除せずに済み、手術でねじれないように固定してもらうことができました。プロポーズの1ヶ月前の出来事でした。

――どんなプロポーズだったのですか?

安田 テレビ番組の企画で、大阪で指輪を買って、ロードバイクで東京の私のところまで届けるというものでした。私にはプロポーズのことは知らされておらず、「大阪、東京間のチャレンジをゴール地点で見届けてほしい」と言われて、2日目の夜の7時ごろから東京タワーで待っていました。でも予定が遅れて、夜の9時に東京タワーが閉まってしまったのでファミレスに移動しました。

 そして朝の4時ごろ、団長と、応援団として付き添っていたHIROくんやクロちゃん、鶴見辰吾さん達が到着し、プロポーズをしてもらいました。皆さん2日間ほとんど寝ずに応援してくださったので、無事にゴールして感動ムードだったんですが、私はものすごく眠かったし、団長達とのテンションの違いに呆然としていました。そのため、プロポーズは嬉しかったのですが全然涙が出なかったんです。そのことは、「あれで泣かへんねんもんな」と、今でも根に持たれています。

――芸人さんとの結婚について、安田さんのご両親の反応はどうでしたか?

安田 うちの両親は2人とも田舎の学校の先生なので、結構厳格な家庭だったんです。母は「さっちゃんが選んだ人だから」と受け入れてくれましたが、父は団長に対して、ふんどし姿でテレビに出ているイメージしかなく、「あの人!?」と思ったんじゃないでしょうか。「結婚の挨拶をしたい」と父に伝えると、「将来、芸人としてやっていけなくなることも踏まえて、さちをどうやって幸せにするのか考えて来いと言っておけ」と言われました…。

〈 「もうこの人とは無理だ」両親への挨拶は大成功、芸人の嫁としてもうまくやっていたのに…妻が明かす「安田大サーカス団長との離婚危機」を乗り越えられた理由 〉へ続く

(都田 ミツコ)

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