1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 映画

「光る君へ」実物が残っていない紫式部の文字はこうして生まれた!書道指導・根本知が明かす

シネマトゥデイ 映画情報 / 2024年8月11日 12時0分

 ところで、まひろ(紫式部)の書のシーンは吉高が吹替えなしで行っており、そのために本来は左利きだが右利きに変えている。これは誰にでもできることなのか。

 「僕だってできません! だから吉高さんはすごいと思います。真面目で大変な努力家で気遣いの方。ご自宅でお稽古として書く量が凄いんです。“練習してくださったんですね。ありがとうございます”と言ったら“泣きながらやってんだからね~!”とおっしゃっていましたけど、本当に一生懸命に取り組んでくださって。初めは手元を吹き替えにするお話もあったんですよ。書道指導のお話をいただいた時、まだ脚本もないなかで指導が始まって、制作陣から初めに言われたのが“利き手を変えて書くことが可能か見定めてほしい”ということでした。それで何回かお稽古したのですが、吉高さんが歩み寄って努力してくださる方だとわかったので、できると思ったんですよね。制作陣の本人で撮りたいというご意向が強かったこともあって、吉高さんも“やってみようかな”と乗ってくださった」

 撮影外でも書の練習を続ける吉高の努力が実を結んだことを、根本が実感した瞬間があったという。

 「吉高さんが先日のお稽古でおっしゃっていたのですが、“初期の頃の映像を見ると、よくあんな下手な字を載せちゃったなって”と。実は、それはすごくいいことで。今は第40回ぐらいのシーンの書を練習しているんですけど、もうとんでもなくうまいんですよ。かな文字は、僕の書いた文字とつなげるとほとんど見分けがつかないぐらいで。前の映像を見た時に下手だと思えたということは成長している証拠で、書だけではなく目も良くなっている。序盤のまひろは10代前半だった。“書は人なり”と私はよく言うけど、吉高さんが紫式部に同化していくにつれて書も大人っぽく品良くなっていると感じます」

 なお、前半でまひろが道長に贈っていた漢詩や宣孝(佐々木蔵之介)に贈った歌と、後半で執筆する「源氏物語」とでは書風に違いがあるとも。

 「亡くなった夫の宣孝とは歌のやりとりでけんかをしていましたけど、心をそのまま吐露する和歌と、フィクションとして描く物語って、僕の中ではだいぶ違うんです。歌を書く時には胸の内をそのまま吐露する、いわばX(旧Twitter)のようなものだから、文字を散らしたりして激情を表していました。一方、『源氏物語』の頃には作家として自分の中に没入して落ち着いていくので書風に変化はつけていませんが、書く時の姿勢を前かがみに変えました。加えて、これまでは腕を上げて筆を柔らかく持っていましたが、速く書けるように筆の下の方を持ってぎゅっと握ってくださいと。そのスタイルには大石先生も賛同してくださいましたが、吉高さんは初めの頃に僕が“ダメです”と言っていたスタイルに戻す格好になったので“やっと雅な型が身についたのに……”と嘆かれていました(笑)」

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください