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心配は百害あって一理なし?幸せへの一歩は「人を心配しないこと」【辛酸なめ子 レーネンさんへ質問】第1回

ココロニプロロ / 2018年8月15日 16時50分

レーネン:誹謗中傷されたことに対して「ありがとう」と返すわけではなく、「自分はこうなってはいけない」という気づきを与えてくれたことに対して感謝するのです。

否定的な情報を、ポジティブに変換することで、ネガティブな感情に引きずられることなく客観的に事実を見つめられます。


「ありがとう」とあえて言うことで、感情的になりそうな自分にブレーキをかけられるのかもしれません。
さらにレーネンさんのお話によると、ネガティブな情報に振り回されないよう毅然とした態度で向き合うことが、人生を前向きに進める秘訣なんだそう。


レーネン:この世界には何十億という人々がいます。人数が多い分、ネガティブなものも膨大に生み出されています。
しかし、悪いことが書かれたり、世に発信されたりしていること自体は、実はどうでもいいのです。

マイナスなものを目の前にしたとき、みなさん個人個人がどのように向き合うかが大事になります。それぞれが責任をもって対処していくことで、自分の人生をプラスに導いていけるでしょう。


■「心配」は人を思いやっているわけではない

怒って攻撃的になることだけがネガティブな感情というわけではありません。心配したり不安になったりすることも同様に心にモヤモヤを溜める原因になります。
「心配すること」について、レーネンさんはこんな風に考えているそうで――。


レーネン:たとえば、田舎の両親が病気にかかったとしましょう。その事実に対して、あなたはなにができますか?心配することで変わることがあるのでしょうか?
親の病気に対して「心配する」「不安になる」ということは、彼らにネガティブなエネルギーを送ってしまっているのです。


レーネンさんのご家族も、火山活動が活発なハワイで居住されているそうですが、レーネンさんは「心配をしたり」「不安がったり」はしないとのこと。
確かに心配したところで、なにも変わらないのですが、家族から心配されないのはさみしい気がしますよね。


なめ子:親の体調が悪いと結構心配してしまい、神社やお寺にお参りしたりしていました。
母も生前は、「風邪をひいてないか」と私のことを心配してくれて。まさに心配がコミュニケーションのようになっていたんです。なので、自分が病気になったときに、誰からも心配されないのはさみしいような…。

レーネン:そう感じるのは「心配をされないことは孤独である」という刷り込みが強いからです。心配をする感情が一番大事だと感じているのではないでしょうか。
人は誰しも、周りの人から心配されたいと思うものです。しかし、「心配をしてもらいたい」という感情は、他人に自分のことを気にかけて欲しいという欲望に他なりません。つまりは、その相手の思考を支配したいという自分本位な態度なのです。

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