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心配は百害あって一理なし?幸せへの一歩は「人を心配しないこと」【辛酸なめ子 レーネンさんへ質問】第1回

ココロニプロロ / 2018年8月15日 16時50分


まさか「人から心配されたいと思うこと」が、相手を支配したい気持ちの裏返しだったとは…。Twitterなどで体調の悪さをアピールする女性が“かまってちゃん”などと呼ばれて敬遠される理由もここにあるのかもしれません。

人を心配しないというと、なんとなく薄情な気がしますが、レーネンさんによると、「心配すること」と「人を想うこと」は違うようで――


レーネン:「人を想う気持ち」と「心配」は大きく異なります。
人を想うというのは、相手の幸せを信じて祈ることです。そして、身近にいて実際にサポートしてあげることです。
一方、心配するのは、相手の幸せとは逆のことを想像して不安を感じていること。つまり、相手を気遣うつもりで、ネガティブな念を送ってしまっているのです。

多くの人は、「心配すること=相手を思いやること」と刷り込まれているようですが、それは間違っています。
大事なのは、相手の幸せを願って気持ちが上向くような言動をすることなのです。

「心配になって、すがるようにお祈りをする」という行為は、よろしくありません。祈りというポジティブな行動をしているのに、心配するというマイナスな行動がそれを邪魔して、届けたい想いが相手に届かなくなってしまうからです。




なめ子のひとこと
家族が大病した時、こちらも心配で具合が悪くなったり、心配の表情でお見舞いすることで、相手を暗い気持ちにさせてしまっていました。心配は百害あって一利なしですね。家族に限らず、友人がちょっと連絡取れなくなっただけで、「病気?事故?」「もしかして死んだの?」と心配を増幅させる癖を改めなくてはと思いました。




■ポジティブな「祈り」を届けよう

心の中に心配や不安な気持ちを抱えていると、ポジティブな想いも届かないということなんですね。では、前向きな気持ちを維持するにはどうすればよいのでしょうか?


なめ子:では、神社などで祈ることは避けたほうがいいのでしょうか?

レーネン:「祈ること」と「心配すること」では大きく異なります。神社で「お祈り」をするのはポジティブなエネルギーを送ることになります。不安な気持ちを抱えたままで祈るのではなく、前向きなことを考えるのが大事なのです。

レーネン:神社の話題が出たので、ついでにお話しておくと、神社でのお賽銭は「神様」にわたるのではなく、「神社」にお金を払っているということを認識するべきです。

なめ子:お賽銭は神様への供物ではないのですか?

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