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「“美人”を使いこなせない」 雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第14回

ココロニプロロ / 2014年12月19日 11時15分

例えば誰かに好意を寄せられて、でも、込み入った関係にはなりたくない場合、どうするか?という質問に「正しい答え」はありません。人によっては「傷が深くならないうちに、期待させないよう拒む」が正解でしょうし、「好かれているのは迷惑じゃないのだから、嬉しさを表現する。そのうち好きになることもあるかもしれないし」も正解でしょう。でも、この「正解」が、相手の思う正解と違った場合、人の怒りを買います。

マロンクリームさんが人に嫌われてしまうのは、たぶん「コミュニティの中でもめないために多くの人が実行している正解」とは違う「正解」の基準で行動されているからではないでしょうか。

けれど、私はマロンクリームさんに「そのコミュニティの中での正解を学んで、それに従え」と言う気持ちにはなれません。それは「空気を読め」と言うことと同じですし、嫌われにくくはなるかもしれませんが、自分の基準を持てず、嫌われることにビクビクするだけでは余計に苦しいような気がします。

上司との関係の場合、たぶん初期に上司の好意を拒むようなことをしていれば、マロンクリームさんが会社で居眠りしていることはもっと早くとがめられていたでしょうし、拒まなければ親しくなる機会はいずれにせよ来たのではないかと思います。どちらに進んでも何らかのマイナスはある。どうするのが正解だったかという答えはないし、「そもそも好意なんか持たれたくなかった」と思っても、持たれてしまうものはしょうがない。周囲の人から見れば「愛想良くしなければいいのに」ということなのでしょうが、私がもともと愛想良くないのに「愛想良くしろ」と言われるのが苦痛であるように、愛想がもともと良い人が「その愛想をひっこめろ」と言われるのも、同じように苦痛なのだろうと感じます。

大事なのは、「嫌われないようにすること」ではなく、「人の好意を大切にすること」だと思います。下心から来る好意や、マロンクリームさんが美人だから得られる好意ではなく、マロンクリームさんのことを思ってくれている人たちの好意です。「凛としろ」とか、「資格を取れ」とか言ってくれた人たちが望んでいることは「マロンクリームさんの精神や生活の安定」です。それは「自立しろ」というメッセージでもあります。

できないのはよくわかります。精神的に追いつめられているときは他人を思いやる余裕がなくなりますし、その状態を抜けると憑き物が落ちたようにケロッと元気になってしまうこともあるので、自分が死を考えるところまで追いつめられていたことが、体感として薄れていってしまう。「もう大丈夫」としか説明できないのですが、一晩中心配していた側からすると「もう大丈夫」では納得できないものがあるでしょう。「ありがとう。心配かけてごめんね」という、感謝や謝罪がないと、心配して損したと感じられます。感謝や謝罪ができないことに対しては「メンタルが弱いから」は理由になりません。私もこれで何度か大事な人間関係を台無しにしてきました。学習すればいいのに、うまくできません。自分にとって「甘える」というのは弱音を吐くことですが、それをこういう形でしてしまうと関係が壊れる、というのでは、親しい人、恋人を作ることはできません。

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