社会的に成功した妻と家事を担う夫、「家庭内の平等」は実現するのか? 夫殺しを疑われた女性の行きつく未来
CREA WEB / 2024年2月29日 17時0分
映画ライターの月永理絵さんが、新旧の映画を通して社会を見つめる新連載。第6回となる今回のテーマは、「平等」。
公開中の映画『落下の解剖学』は、ベストセラー作家の妻と主夫の夫が、夫婦間の平等を巡る“暴力的な口論”の末に悲劇的な結末を迎えたところから、物語が始まります。
“強い女性”なら夫を殺してもおかしくないはず?
「平等」について考える。というと、つい大きなテーマとして考えがちだが、まずは身近なところから考えてみたい。たとえば家庭内での平等。パートーナー同士のふたりが家のなかでの仕事を平等に分担したいと思うのは、ごく自然なこと。でも実際に完璧な平等を目指すのは、思った以上に難しい。
家にいられる時間が多い人の方に自然と家事や育児の負担がかかったり、収入が少ないほうが家事をすべきだ、という無言のプレッシャーに従わせられたり。性別による役割分担ができてしまうのも問題だ。では、家庭内での平等は、いったいどうすれば実現できるのだろう。
昨年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、今年のアカデミー賞に多数ノミネートされた『落下の解剖学』(2023)は、家庭内での平等、という問題を考えるうえでぜひ見てほしい映画。物語は、フランスの雪山の奥深くにある山荘で起きた転落死事件から始まる。
妻サンドラと、一人息子ダニエル、そして愛犬のスヌープとこの山荘で暮らしていたサミュエルが、突然転落死を遂げる。当初は事故死かと思われたが、遺体の状況から他殺の疑いが浮かび上がり、やがて妻に疑いの目が向けられる。
サミュエルの死は世間から大きな注目を集める。それは、彼の妻サンドラが、誰もが知るベストセラー作家だからだ。弁護士は自殺説を主張するが、検察はサンドラを殺人罪で起訴し、注目の裁判が幕を開ける。裁判が進むうち、サンドラとサミュエルとの夫婦関係が赤裸々に暴かれていく。
実は、私生活をモデルにした小説で名声を得た妻と、主に家の仕事を担っていた夫との間には、たびたび大きな諍いが起きていた。さらに、サンドラがバイセクシュアルであり、婚姻中に別の女性と関係を持っていたことが判明すると、検察官たちの追及はより激しさを増していく。
鍵となるのは、視覚障害を抱える息子ダニエルの証言だが、第一発見者である彼はまだ11歳。幼い彼は、父の突然の死を悲しむ間もなく、両親の隠された姿を否応なく知らされることに。
監督は、これが長編4作目となるジュスティーヌ・トリエ。脚本は、実生活でもトリエのパートナー関係にあり、『ONODA 一万夜を越えて』(21)の監督アルチュール・アラリが共同で手がけている。疑惑の人サンドラを演じるのは、『ありがとう、トニ・エルドマン』(16)をはじめ、ドイツを拠点に数々の映画に出演してきたザンドラ・ヒュラー。
サンドラは、夫のサミュエルより高い社会的地位を持った強い女性で、ふだんは母国語であるドイツ語ではなくフランス語と英語を使いわける。検察からの詰問に毅然として答え、女性たちとの浮気についても正当な理由を述べる。けれど、彼女がもつその強さ、逞しさこそが、人々に疑念を抱かせる。このふてぶてしい女性なら、夫を殺してもおかしくないはず。サンドラがいかに自立した女性であるかが証明されればされるほどに、彼女に向けられる疑惑は増していく。
平等のための口論は、家事育児の分担からセックスの力関係まで
果たしてサミュエルの死の真相とは何か。映画はミステリーの形式に沿って進むが、謎解きよりもおもしろいのは、裁判が進むにつれて浮かび上がる、サンドラとサミュエルという夫婦の特異な関係性。裁判に提出されたサミュエルとサンドラが口論する音声からは、ふたりが激しく声を荒げ、暴力行為とも思える音が聞こえてくる。それはあたかも相手を殺しかかねないほどに憎み合う夫婦のよう。
でも私にはむしろ、その口論が清々しく受け止められた。サミュエルとサンドラは、自分たちがどうすれば本当に平等な関係でいられるのかを徹底的に追求する夫婦なのだ。どちらがより不公平な立場にあるか。この不平等をどう正せばいいのか。家事や育児の作業分担から仕事の仕方、住む場所の選択、セックスをめぐる力関係まで、ふたりは互いに自分の納得するやりかたを主張する。それゆえに対立し、とことんまで相手を傷つけあう。
鬼気迫るふたりのやりとりは、たしかに苦しい。仕事がうまくいかず相手に嫉妬を募らせるサミュエルの弱さと、彼の弱さを許容できないサンドラの強さ。その対比はあまりにも残酷だし、実際にこの口論のあとにサミュエルの死という悲劇が起こるのだから、口論が清々しいなどと言ってはいられない。
けれど、ここまで「平等な関係」を求めて戦う男女の姿を目撃できたことに、私は感動せずにいられない。そういえばジュスティーヌ・トリエ監督は長編第1作『ソルフェリーノの戦い』(13)でも、別れた夫と妻が、殴り合わんばかりに口論する様を通して、(たとえ別れた後だとしても)家庭内での平等を求め果敢に戦う女性の姿を描いていたように思う。
サンドラたちの口論を見ながら思い出したのは、リチャード・リンクレイターが監督した大人気シリーズの3作目『ビフォア・ミッドナイト』(13)での夫婦の喧嘩シーン。ジュリー・デルピーとイーサン・ホークが演じるのは、二度の偶然の出会いを経て、いまは双子の両親になったセリーヌとジェシー。
映画は、ふたりがバカンスを過ごすギリシャでのある一夜の出来事を描く。久々のふたりきりでの夜に、はじめはロマンチックな雰囲気が流れるが、些細なことから互いへの不満をぶつけだし、大喧嘩が始まる。さまざまな話題が上がるなかで、もっともヒートアップするのは、やはり家庭での役割分担のこと。
夢を諦めた妻に「やればよかったのに」と吐き捨てる夫
作家として成功したジェシーに対し、セリーヌは、NPO法人の仕事をしながら、双子の育児や家事を主に担ってきた。私にだって音楽という夢があったのに、この9年間、育児や家事のせいで何もできなかった。なぜ女である私だけが、家庭内の多くの負担を引き受けなければいけないのか。そう不満をぶつけるセリーヌに、ジェシーは「やりたいことがあるなら、やればよかったのに」と残酷に返す。そのやりとりは『落下の解剖学』のサンドラとサミュエルのやりとりを彷彿とさせる。
些細なことから始まったセリーヌとジェシーは、もはや後戻りができないほどに対立する。ここまで言い合ったらもう仲直りは無理だろうと誰もが思ったあと、映画はある種強引な幕の閉じ方を導入する。問題はなにひとつ解決していない。それでもパートナーとしての関係を諦めたくない。そんな未来への希望を残したハッピーエンドは、ラブストーリーとしては最高の結末だ。
一方で、『落下の解剖学』のサンドラとサミュエルは、闘いの末に悲しい結末を迎えてしまう。一番の被害者は一人息子のダニエルだろう。けれど、悲劇に陥った家庭のなかで、サンドラとサミュエルがどこまでも平等であろう、そのために対等な立場を目指そうとした人たちであることは、忘れたくない。
自分たちの目指す理想のため、徹底的に言葉をぶつけあう夫婦の姿は、けっして醜い争いなどではないはずだ。彼女たちは力の限りを尽くし、思う存分に闘った。その結果がどう出たのかは、映画を最後まで見たうえでそれぞれに受け止めるしかない。この映画が追求するのは、真実とは何かではなく、人生において何を選択するか、なのだから。
約60年前の「女性の自己決定権」を描く
最後に、主婦としての生活に満足していたひとりの女性が、家庭内での平等について、そして社会における公平さに目覚めていく映画を紹介したい。中絶が違法とされていた1960年代後半から1970年代初頭のアメリカにおいて、密かに中絶を行い大勢の女性たちを救った実在の団体「ジェーン」をモデルにした『コール・ジェーン 女性たちの秘密の電話』(22)。
エリザベス・バンクスが演じる主人公ジョイは、当初、社会の現状に大きな疑問をもたない人として登場する。けれど、予期せぬ病で違法中絶をせざるをえない事態に置かれたとき、彼女は初めて、この社会において女性には自分の身体をどうするかを決める権利すら与えられていないのだと気づき愕然とする。
同時に、彼女は家庭内での夫との関係や、社会における男女の扱いについても疑問を持ち始める。なぜ夫は、早く帰った日でも自分の代わりに料理をしようとしないのか。学校で縫製や料理を学ぶのはなぜ女子学生だけなのか。こうして、ついに覚醒した彼女は、自ら「ジェーン」の一員として働き始める。
今以上に性差別が激しかった1968年に、ひとりの女性がどんなふうに男女間の不均衡に気づき、闘士へと変わっていったかを、ぜひこの映画を見て知ってほしい。
文=月永理絵
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