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アストンマーティン 新型Vantage GT3 ル・マン24時間デビュー戦にて20回目のクラス優勝を目指す

Digital PR Platform / 2024年6月12日 11時14分

ソーレンセンが#777でのレースを共にするのは、今回ル・マン初参戦となる、GT4ヨーロピアンシリーズとGTフランスシリーズ両方のタイトルを獲得したエルワン・バスタード(フランス)と、昨シーズン最終戦のバーレーン8時間レースで2位に入って以来のFIA WEC参戦となるチーム代表の星野敏(日本)です。

2025年にハイパーカークラスでアストンマーティンのワークスカーValkyrie AMR-LMHを走らせるHeart of Racingは、#27のVantageでWECシーズン開幕戦のカタール1812kmレース2位という最高成績で新たなLMGT3時代のスタートを切りました。ラ・サルトでは、昨年のル・マン初参戦での6位を超える成績を狙います。チームのドライバー戦力の中心となるのはチーム代表のイアン・ジェームス(英国)で、シングルシーターのチャンピオン経験者ダニエル・マンチネッリ(イタリア)とIMSA優勝経験者のアレックス・リベラス(スペイン)が共に戦います。

重要なことに、FIA世界耐久選手権第4戦のル・マンは、その長さと難易度からダブルポイント制を採用しています。つまり、ル・マンは、現在チーム順位3位と5位につけているHeart of RacingとD’station Racingにとってシーズンのヨーロッパ戦終了時点のスタンディングでトップに躍り出るチャンスです。

アストンマーティンの耐久レースの歴史は、ル・マンと切っても切り離せない関係にあります。ロバート・バンフォードとライオネル・マーティンが創業してからわずか15年後の1928年には、ラ・サルトのレースにAM415「International」が2台出場しました。3年後、アウグストゥス・チェザーレ・ベルテッリとモーリス・ハーヴェイがInternationalで1.5リッタークラス優勝し、初勝利を挙げました。1932年と1933年にもクラス優勝を果たしています。30年代にはUlsterがさらに2度の勝利を収め、第二次世界大戦前の時代、アストンマーティンはル・マンを代表するマニュファクチャラーのひとつとなっていました。

1940年から1948年、ヨーロッパが第二次世界大戦に見舞われる中でレースも中断されましたが、1949年に再開されるとアストンマーティンも参戦し、1950年代にかけて3リッタークラスを独占しました。1951年にはDB2が1位、2位、3位となり、6度クラス優勝をしています。この全盛期は、1959年のキャロル・シェルビーとロイ・サルヴァドーリのDBR1の輝かしい総合優勝で頂点を極めることになります。アストンマーティンが、レース界の伝説的なスターたちが集まることで知られるようになったのもこの頃です。アストンマーティンでル・マンを戦った数多くの名ドライバーには、ジム・クラーク、サー・スターリング・モス、ピーター・コリンズ、サー・ジャック・ブラバム、シェルビー、サルヴァドーリ、トニー・ブルックス、フィル・ヒル、サー・ジョン・サーティース、イネス・アイルランド、グラハム・ヒル、ブルース・マクラーレンなどが名を連ねます。

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