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カーリング「曲げたいなら『逆側』を磨け」―スウィーピングの不思議を初検証―

Digital PR Platform / 2024年9月25日 20時5分

<研究内容に関する問い合わせ>
■ 立教大学理学部 村田次郎
E-mail: jiro@rikkyo.ac.jp
<広報担当>
■ 立教大学総長室広報課(担当:藤野)
E-mail: koho@rikkyo.ac.jp
 
 
【研究概要】
カーリング競技において、回転を加えて投げだされた石の軌跡は自然に曲がっていく性質があり、これが試合の勝敗を決する繊細で多様な軌跡を生みます。石に加えられた回転、氷の状態によって曲がり具合は変化するため、投げ手となる選手はこれらを経験に基づいて予測し速さ、方向、回転を制御して石を投げ出します。しかし試合を観戦していれば、一旦投げ出された後の石に対しても曲がり具合を修正しようと選手がスウィーピングを試みる場面を見ることがあるかもしれません。曲げスウィーピングと呼ばれるこの技術には、ところが、その効果に対して確たる根拠がなくカーリング選手自身にも半信半疑に思われているものなのです。曲がり具合が制御される仕組みに関しても、氷を掘ることで下り坂を作ってそちらへ導く、氷に傷をつけて石をその向きに沿わせる、氷を磨いて石の底の引っかかりを減らし振り子のように振られる現象を減らす、など様々な考え方があります。それぞれのイメージの下に工夫を凝らして、曲げたい側を掃く、前方を斜めに掃く、曲げたい逆側を掃く、という全く異なる流儀に分かれていることは選手以外にはあまり知られていないでしょう。
 
2年前、村田教授は97年間も未解明だったカーリングが曲がる仕組みの謎に挑戦し、石の底のザラザラした突起が氷に引っかかり、それを支点として振り子のように振られている(旋廻する)ことを、精密観測によって明らかにすることに成功しました1。石に加えた自転によって、氷に対する石の底の相対速度に左右で差が生まれ、これが左右での支点の数の差を生み結果として速度が遅い側に振られる、つまり反時計回りなら左に曲がることを示すデータを得ました。走っている人が左手で支柱をつかめば、左側に振られるのと同じ仕組みで、速く走る場合より遅く走る場合の方が支柱をつかみやすいように、回転する石は遅い側に選択的に曲がっていくことが予想されます。この理解に基づいて曲げスウィーピングの効果を予測すると、いくつかの流儀のうち、素朴な直観に最も反する「逆側を掃け」が正解であろうということになります。掃いた側で支点が減ることで、掃いた側に振られる確率が減るのだから、もし曲げスウィーピングに効果があるなら反対側へ振られる頻度が相対的に高まるせいだろう、という予測を当時していました。これはスウィーピングによって積極的に曲げるというより、掃いた側へ曲がりにくくする、という消極的な効果と理解できます。走っている人の例で言えば、つかみやすい支柱の数を片側で減らしてやる効果に相当し、右側の支柱を減らせば、左側へ振られる機会が相対的に高まるのと同じことです。
 
本学学生[当時]の園部・荻原は共に軽井沢を本拠地として活躍する現役のカーリング選手であり、上記の村田教授の曲がる仕組みに関する研究成果を受けて、即座に曲げスウィーピングの効果、有効な技術の発案に強い興味を示しました。競技技術として即戦力となるからです。荻原はこの研究成果を知った直後に行われた世界ジュニアカーリング選手権大会において、銀メダルを獲得する大活躍を見せました2。
 
しかしスウィーピング効果の科学的な検証には困難が予想されました。それは、その効果が測れるほど大きくないと思われるだけでなく、測定の度に石の摩擦やスウィーピング自身などによって氷の状態が変化し、得られた効果がスウィーピングによるものなのか、状態が変動してしまうことによる誤差なのかの判断が難しいためです。そのため、効果が乱雑に生じるタイプの誤差に関しては、偶然のふらつきを平均化するために可能な限り多数回の測定を行い、石の発射速度を一定に保つように特別に開発した発射装置を用意しました。さらに多数回の測定によっても均されない、試行に一律に加わる好ましくない効果である「系統誤差」を相殺させる測定を工夫して行い、物理学の手法を応用して得られた結果を統計的に慎重に解析しました。氷の状態の変化による誤差を抑制するため、スウィーピングなし、ありの測定を氷の上の同じ場所で行って停止位置を計測し、その一組ごとに計測に未使用の場所に変えて全部で39組、78回の試行を行いました。軽井沢アイスパークで行った測定時にはSPCC(Saint Paul's Curling Club:立教大学カーリングクラブ)に所属する学生メンバー、発射装置の開発者らも協力して測定を行いました。世界水準のカーリング選手の技術と経験、発案を研究者が学術的にサポートする形の混成チームです。
 
得られた結果は「スウィーピングあり、なしの差はゼロ」から2シグマ(標準偏差)の逸脱を示し、「効果なし」とする仮説を95%の信頼性で棄却できるものでした。物理学などの学術分野においては、新粒子の発見などの重大な効果を主張するには少なくとも5シグマ(99.9999%)の信頼性を基準とする場合もあります。今回の結果は「実際には効果はなく、逆を掃けというアドバイスが間違いである可能性」が厳密にはゼロではなく、5%は残っています。偏差値に換算すれば、2シグマは偏差値70で、5シグマは偏差値100に相当します。村田教授と選手側はこの結果の価値を巡って議論しました。スポーツ競技において、競技者が次に行う行動を判断する際に指標とする情報としては、たとえこれが50%程度の低い信頼性しかなかったとしても、それが間違いであるリスクは実行の決断をするにはコストに見合っており、許容できると判断するだろう、と研究チーム内で合意しました。少しでも効果が期待でき、コストが許容できるならば、やる価値がある、という考え方です。この結果は今後のカーリング選手の競技行動のトレンドを生むことが予想されます。例えばカーリング大国のカナダではスウィーピング技術の科学的研究を大規模に進めており、日本発のこの結果は大きなインパクトを与えると考えられます。また、左右差のあるスウィーピングによって曲がりが変化する現象は、長らく議論の続いてきた石の曲がる仕組み自身が、摩擦の左右の違いに基づくものだという理解を支持するものとも言えます。
 
この論文では曲げスウィーピングの効果だけでなく、選手が競技でも使用できるストップウォッチのみを用いて氷のコンディション、つまり滑りやすさを測定する方法なども提示しています。滑走距離を左右するのが日常的に変動するこの摩擦係数ですが、これをその場で簡便に測定する手法で、今後、氷の状態を重い(滑りにくい)、軽い(滑りやすい)というあいまいな表現を超えて、摩擦係数という数値の形で指標を与えられるようになると期待できます。曲げスウィーピングの測定で用いた発射装置は、元々は滑走距離を測ることで氷の摩擦係数を測定する装置として考案したものを応用したものですが、このような特別な装置なしにストップウォッチのみで摩擦係数の推定ができることを示したものです。
 
またカーリングがなぜ曲がるか、という長年続いた科学的な議論では、机の上でコップを回らせて滑らせた場合などと違って「回転の向きと同じ向きに曲がるのはカーリングだけ」(反時計回りなら左曲がり)、という特殊性が常に注目されてきましたが、これが実は特殊ではないことを示す反例の発見を、動画つきで紹介しています。これは小中学生と村田教授が昨年行った共同研究3で見出した実例を引用して紹介したものです。カーリングの曲がる仕組みを議論する上で常識とされてきた、出発点から再考を促す事実としてすでに研究者を驚かせており、もしカーリングの不思議さに気づいた100年前にこの現象を想定できていれば、カーリングの曲がる仕組みの議論が世紀の謎として混乱することはなかったかもしれません。氷の特殊な性質を持ち出すことなしに、一般的な力学だけで自然に理解出来るからです。
 
村田教授の専門はスポーツ科学とは無縁の素粒子・原子核と重力の物理学で、右と左の間の対称性など、時間や空間の対称性の研究をしています。カーリングが曲がる現象、曲がりが変化する現象は物理学における左右の対称性や自転現象と深く関わっており、特に原子核反応との類似性が興味深い現象です。今回の成果は選手の着想を元に、誤差の取扱いなど物理学の研究手法が活かされたものと言えます。
 
曲げスウィーピングの測定の際には特別に高度な測定機器は用いておらず、より効果的なスウィーピング技術の向上のための競技研究を、今回の研究を超えて今後も競技者自身がそれぞれ工夫しながら行う方法を提示しています。カーリングは元々、選手・指導者による科学的な試行・思考がさかんな極めて論理的な競技ですが、本研究は氷上のチェスと呼ばれるカーリングが、今後ますます科学とスポーツの融合を具現化した科学的・論理的な競技文化として発展する一助となるものと期待できます。

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