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加藤和彦さんが「NO MUSIC, NO LIFE.」タワーレコードポスターに登場! 岩井俊二、奥田民生、草野マサムネら15人がコメント

映画.com / 2024年5月16日 12時0分

――サエキけんぞう(パール兄弟)

加藤和彦を愛した多くの人々が、トノバンと過ごした【時】の物語を聞かせてくれる。

誰もがみなトノバンを愛していた事、その思いが深くこころに染み込んでくる。

そしてスクリーンに映るトノバンの生き生きとした姿、歌声…。

加藤和彦が作り上げてきた音楽、それは今、ぼくたちの心に、新たに、深く、力強く、優しく、響きわたる。「トノバンサイコー」と叫びたい気持ちだ。

――竹中直人(俳優・映画監督)

トノバンとはレコーディングスタジオでもライヴの場所でも随分一緒に過ごした。ニューヨーク、ローマ、マイアミ……。たくさん旅をし、物を作った。軽いノリなのにひらめきをまとめていく。クリエイティブな旅人。亡師、伊丹十三とセルジュに共通するテイストを持つ才人。いろいろな思い出が交錯し、僕には何だか切なくなる映画だった。

――立川直樹(プロデューサー、ディレクター)

この映画を観て以来、トノバンがずっと心に居座っています。

なぜか何度も観たくなる。

スマートで破天荒な人生。誰にも真似できない物語。

――浜崎貴司(FLYING KIDS)

フォークル、ミカバンド、ソロ時代、ヨーロッパ三部作と、トノバンは年齢を重ねながら、オシャレ度も、豪華になっていく。そのファッションの変化を見るだけでも、この映画は観る価値がある。―なんて、ユキヒロさんだったら、こんなコメントを書くのかもー

――藤井丈司(音楽プロデューサー)

1960年代の日本では新しい音楽がラジオの深夜放送から聞こえてきて新鮮だった。その中で一番好きだったのが加藤和彦さんの曲だった。僕も作曲をするようになり、やがて音楽出版やレコード制作をやるようになったのだが加藤さんと仕事で組む機会はなく、僕は細野晴臣、松任谷正隆・由実夫妻などと仕事をしていた。ずっと後になって、僕が一緒にたくさん曲を書いた安井かずみさんと加藤さんが結婚したあたりから付き合いが始まった。かずみさんと一緒に僕が年中行っていた飯倉片町のイタリア料理店キャンティによく現れるようになって親しくなったのだ。テニスの帰りにテニスウエアのまま二人で現れたり、素敵なスーツ姿で現れたのをみて「おしゃれな人だなー」と感心したものだ。かずみさんとアルバム「パパ・ヘミングウェイ」を発表したり、世界中の美味しい料理店を食べ歩いてその経験をまとめた本を出版したりしていた。

2007年に代官山のヒルサイド・テラスで行われた僕の作曲家40周年のパーティーに来てくれて余興で高橋幸宏、細野晴臣、かまやつ・ひろしさん、サーカスなどと一緒に僕の書いた「白い珊瑚礁」を歌ってくれた。ちょっとトークをしてくれて「村井さんの周りには優れた才能を持っている人がたくさんいて、そういう人たちにちょっと引け目を感じる点もあるのだけれど、背の高さだけは僕が一番だ」と冗談を言って皆を笑わせてくれた。その時加藤さんが着ていたのはビートルズの頃のミリタリー・ルックをすっきりとモダンでシンプルにした洋服で、「センスいいなー」と思ったものだった。この映画をみてますます加藤さんのことが好きになった。

――村井邦彦(作曲家、アルファミュージック、アルファレコード創業者)

観終わってしばらく木偶人形になってしまったのは、身体を抜け出した魂があの時代から戻って来なかったからだ。加藤和彦さんが魔術師のように日本の音楽界を洒脱な冒険の国に塗り替えていった、あの時代。“タイムマシンにお願い”しなくても、この映画が、ヒール7cmのロンドンブーツを初めて履いた眩しいあの夏に、僕をさらってくれる。

――森雪之丞(作詞家、詩人)

かっこいっス!

メロディすごい!

ベタ過ぎない寸止め感が絶妙で最強!

いろいろ、規格外! 魅力の器、無限大!

――YO-KING(真心ブラザーズ)

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