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【「マッドマックス フュリオサ」評論】勧善懲悪というだけでは割り切れない清濁併せ呑むような複雑さ

映画.com / 2024年6月2日 8時0分

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「マッドマックス フュリオサ」は公開中 (C)2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.

 人気映画の前日譚を描いた作品は、“答え合わせ”と向き合わねばならない運命にある。例えば、「スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス」(1999)にはじまる三部作では、アナキン少年が如何にしてダース・ベイダーになってしまうのかというプロセスを描かなければならなかった。「スター・ウォーズ エピソード4 新たなる希望」(1977)に繋がる、“答え”に対する整合性こそが重要だとされていたからだ。「マッドマックス フュリオサ」(2024)は、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」(2015)の前日譚にあたる。つまり、本作においても“答え合わせ”は重要なのである。シャーリーズ・セロンが演じたフュリオサは、髪の毛を短く刈り込み、左腕を欠損し、メカニックに強く、射撃の名手というキャラクターだった。それゆえ、どのようなプロセスによって彼女の外見やスキルが形成されたのかということに対する、“答え合わせ”を描かなければならない運命にあるのだ。

 一方で、“答え合わせ“に重点を置き過ぎたため、物語の面白みに欠けるという前日譚の事例も散見されてきた。その点で「マッドマックス フュリオサ」は、「行って帰ってくるだけの展開」と称賛された「マッドマックス 怒りのデス・ロード」の単純な構成を踏襲しようと試みている。基本的に今作は、「フュリオサが『怒りのデス・ロード』のフュリオサになるまで」という物語でしかない。物語を簡素化しながら、アクションを繋いでゆくことで、物語を転がしてゆく。あくまでもアクション主体という映画にすることで、バスター・キートンが主演した作品群にも通じるような作品になっているのである。

 そして、喜怒哀楽を顔に出さないキートンの<ストーン・フェイス>へ倣うかのように、アニャ・テイラー=ジョイ演じる若きフュリオサもまた<無表情>なのである。台詞が殆どないフュリオサの内面を瞳の動きだけで表現し、シャーリーズ・セロンが演じたフュリオサとシームレスなグラデーションを形成させた、アニャ・テイラー=ジョイの役作りには驚嘆するばかり。これまでジョージ・ミラーが監督してきた「マッドマックス」シリーズは勿論、「ロレンツォのオイル 命の詩」(1992)や「ベイブ 都会へ行く」(1998)や、「ハッピー フィート」(2006)などでも一貫して描いてきた「己の運命と戦う主人公」という姿を、フュリオサにも投影させているのだから尚更だ。

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