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笑うしかないけれど、遅効性の毒みたいな映画 「男女残酷物語 サソリ決戦」を見て考えた、女が男に復讐する映画と古い知人【二村ヒトシコラム】

映画.com / 2024年6月14日 22時0分

 ただし、「女たちに暴力ふるっていたヤバい男が、かしこい女に懐柔されて精神を治療されていく」だけの映画ではないんです。男あるいは女どちらかを馬鹿にして一方的に風刺しているわけでもない。

▼女が男に復讐をしていく映画を考える

 女が男に復讐をしていく映画があります。「マッドマックス フュリオサ」みたいなアクション映画だと、あきらかに悪人だという設定の男をぶっ殺す女の姿がかっこよく、男性の観客もいっしょになって喜んでいますが、これがサスペンス映画だと「プロミシング・ヤング・ウーマン」は世界観がリアルすぎて、男性の観客の多くはしょんぼりしてしまいます。

 女の復讐のためのフェミニズムというものがあります。自分を虐待したり搾取したりしていた男への復讐です。傷がふかい人は、まず憎悪の対象を血祭りにあげてからでないと先に進めない。

 女性だけじゃなく男性にも、ふかい傷を心に負った人はたくさんいるでしょう。しかし人間が人間を現実に血祭りにあげるのは、いろいろな意味でむずかしい。暴力や陰謀をつかうのは犯罪だ(と認定されることが多い)し、かえって対立を激化させることになる。

 だから劇映画というフィクションで(できれば味方がふえるような、よくできたフィクションで)復讐を味わっておくべきなのです。現実の環境を改革する勇気のために必要なのは、自分自身の物語の書き換えですから。そのために劇映画があるのだと言ってもいい(もちろん商業映画は収益が見込めなければ作れないのですが)。

 復讐をとげて気がすんだあとのフェミニズム、いつか女と男が(マイノリティとマジョリティも)おたがいを尊重して共存していけるように、未来をめざすフェミニズムというものもあると僕は思います。

 男女関係でナチュラルに男が女を搾取したり侮辱したりする(しかも男性のほうは自分が搾取や侮辱をしてることに無意識だったりする)のは、むかしからそういう仕組みで世の中がなりたってきたからなので、そのしくみや男性の意識をなんとか変えていこうとするフェミニズム。女も男も、やみくもに敵を憎んだり攻撃したり恐れたりするのは依存症的であるから(やめられるものなら、なるべく)やめよう、というフェミニズムです。

▼呪われた信念を描く、救いや赦(ゆる)しがない映画

 フェミニズム的な映画であっても、過激なように見えても「マッドマックス 怒りのデスロード」や「哀れなるものたち」は、未来を向いてる映画です。女やマイノリティが先に進んでいくために道中を邪魔するクズ男がいたらぶっ殺しますが、復讐が目的なのではない。だから、きれいな物語です。きれいな話をきれいごととして撮ったら芸がないからモチーフはグロテスクにして、だからこの2作は重層的な傑作なんだと思います。

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