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【インタビュー】巨匠マイケル・マン、構想30年の執念と情熱 深く魅了された「フェラーリ」創業者の類まれなる人物像とは?

映画.com / 2024年7月4日 13時0分

――マン監督が、エンツォの人生やエピソードで、最も興味をひかれたポイントや、映画になると思われたポイントはどこなのでしょうか。

 エンツォは、父と兄を、第一次世界大戦中の同じ年に亡くしています。彼は教養やお金があるわけでもなかった。フィアット社で働くことが夢でしたが、19歳の頃にフィアット社に行くも、断られてしまいます。その後、彼は自伝でもその出来事を振り返り、「ベンチに座って大雨の中、とても落ち込んで泣いた」と書いているそうです。そんな真の絶望の瞬間にも、彼は考えました。「この人生、この世界で、自分はどんな人間になりたいのか」と。これは、すごくロマンティックな考え方だと思うんですよね。いま置かれている状況を超えて、自分のなりたい自分になること。そのパワーが不安からきていることは、多くの人が共感する部分だと思います。

 エンツォの夢は、レースカードライバーになることでした。実際、1920年頃にそう考えることは、70年代に「宇宙飛行士になりたい」と思うのと同じくらいファンタジー、空想に近い夢だったんです。それでも彼は、当時のイタリアの階級システムを這い上がり、自分の置かれていた状況を乗り越えた。彼のメンタリティというのは、常にレーシングドライバーのもので、ビジネスマン的なものは持ち合わせていなかったんです。車に乗り、全てが正しく、あるべき状態になっていて、完全に自分と車が調和し、車が自分の延長戦上にあるような感覚を持つ。車と一体化して、ひとつの有機物になるような感覚。11歳の子どもが空を飛ぶ夢を見たときのような感覚――そうしたエモーショナルな中毒性について、彼はよく理解していました。

――彼のレーシングドライバーであるという意識やプライドは、「ジャガーは売るために走る。私は走るために売るんだ、全く違う」というセリフにも、よく表れていますね。

 彼は、19世紀、20世紀の興行主(イタリア語でインプレサリオ)のような人だったと思うんです。例えば、オペラを行うにしても、指揮者・オーケストラ・歌い手が必要です。彼もいろんなことを動かしながら、その世界に身を置いていた、とても複雑なキャラクターです。私はそもそも複雑なキャラクターにしか惹かれません。例えばレースチームの組み方ひとつを見ても、エンツォの場合はエンジニア的な正確無比さがそこにあるんです。私は彼の日誌とその筆跡、エンジニアリングの記録などを見たんですが、全てが完璧を期していたんです。

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