1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 映画

ジェイク・エーデルスタインが「トウキョウ・バイス」を生み出すまで――映像化経緯も語る【NY発コラム】

映画.com / 2024年8月18日 10時0分

 日本に来たばかりの頃は、海外の人々が共同で暮らす格安のシェアハウスで暮らした。その頃、禅宗の僧と出会い、大学生活のほとんどを、池袋にある禅宗の寺院で過ごしていたそう。

 では、どのようにして読売新聞で働く“最初の外国人記者”になったのか?

「当時、学校新聞を既に日本語で書いていたんです。ある日、同級生が読売新聞、朝日新聞、そして日本テレビの入社の準備をしていました。当時、入社試験まであと1年の猶予があった私は『日本語を勉強するモチベーションを高めなければ』と感じ、これらのテストに合格することを目指しました。これに集中するため、教科書を何冊か買い、いくつかのクラスに登録しました。授業は朝日カルチャーセンターで受けたり、共同通信社の小論文の授業も受けたこともありましたね。当時の採用試験は、たとえばシーズン前のセミナーに見せかけて、実際にはそれが試験となっており、正式な採用に繋がるなんてこともあったんです。当時の読売の全国紙面そのものはとても保守的だったんですが、当時の『社会部』はとてもリベラルで、『社会部』の紙面に書かれていることがとても好きでした。ですから、私は読売を選ぼうと思ったんです」

 その後、エーデルスタインは読売新聞の埼玉支部に配属。刑事事件を追う「警察担当」を任されることになった。読売新聞社時代は、暴力団の組織犯罪を12年近く取材・調査を行っている。読売にいた他の記者とはどのように連携をとっていたのか。

「最初の1年間は、県警本部(都道府県警察を統括・指揮する本部組織)のもとで警察記者として勤務していました。警視庁の本部廻りに相当する浦和西、大宮、川口などを取材していたのですが、突如、同僚が辞めてしまったので、膨大な数の警察署を取材することになったんです。1994年になると、私の上司の山本さんが『よし、君は組織犯罪を担当するんだ』と言ってきました。当時は『暴力団対策1課』『暴力団対策2課』がありました。『暴力団対策1課』では、組織犯罪対策の情報収集と『暴力団対策法』への対応。『暴力団対策2課』は、ヤクザが関与しているさまざまな犯罪を検挙するのですが、私はこれら2つの部署に所属し、警察記者としてヤクザに関するあらゆることを取材するというのが仕事になったんです」

「日本で組織犯罪を担当する記者のほとんどは、ヤクザと直接交流することはありません。それは普段の彼らが警察を相手にするだけだからです。ただ、私は両方(ヤクザと警察)を相手に取材していました。1999年に歌舞伎町を取材、2000年から2002年にかけては、マルチメディアセクションでYahoo!ニュースやインターネットサイトを担当。その後、東証マザーズに上場しているIT企業をヤクザが乗っ取るという事件があり、突然“犯罪とヤクザ”を担当することもありました。その後、2003年から新聞社を辞めるまで、警視庁で警察取材をしていました」

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください