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「わたしが寝る男は、わたしが選ぶ。生きかたも自分で決める」写真家・石川真生さんの熱い魂を映した「オキナワより愛を込めて」【二村ヒトシコラム】

映画.com / 2024年8月30日 19時0分

 かっこいいギャルはギャル自身が思う「かっこいい男」が好き。真生さんのギャル魂とは何か。「わたしが寝る男は、わたしが選ぶ。生きかたも自分で決める。誰にも文句は言わせないし、見下すことも許さない」という精神だ。

 僕はギャルじゃないのでちょっとだけ理屈を言うね。かっこわるい偉そうな人は、どうして力を広げて自分が大きくなっていくことが好きなのか。よっぽど自分の「小ささ」にコンプレックスがあるのか。個々人を呑みこんでいって、その誇りを軽んじたあげく「彼らは周辺だ(我々こそが中心だ)。彼らは辺境にいる者だから彼らのことは我々がいろいろ決めて、保護してあげなければならない。彼らはもう我々の一員なのだから我々と一緒にがんばらなければならない」みたいなことを言うが、お前たちに呑みこまれなければ琉球もアイヌもLGBTも、そもそも自分が自身にとっての中心だったんじゃないのか。偉そうな人は世界中どこでも右も左も、そういうことをする。偉そうな人は右翼も左翼も顔が下品だ。

 だが真生さんは、僕みたいな理屈は言わない。真生さんは「わたしはさ、顔のいい男が好きだからね」と言う。真生さんが撮った写真の真生さんがつきあった黒人米兵たちは、なるほどイケメンぞろいです。かっこいいイケメンが隣に写っていてこそのギャル写真だ。

 だがしかしイケメンの彼らも必ずしも誠実だとは限らない。一緒に生活したりして時間がたつと、じつはステイツ(アメリカ本国)に妻子がいるとか、べつの男が「あいつはもうじきステイツに帰るから、そしたら次は俺の現地妻になってくれ」と、かっこわるいことを言って近づいてきたりとか、そういうこともあった。別れぎわに暴力を振るわれたこともある。いい男で素朴な黒人が全員、中身までいい男なわけじゃない。

▼真生さんはろくでもない男を愛しても愚痴っぽくない

 真生さんは映画の中でそうした経験も語るけど、でも、その語りが愚痴っぽくないのだ。真生さんには被害者意識がない。ろくでもない男を愛してしまったことがあっても後悔はない。そして謙虚だ。もしかしたら、むしろ加害者意識があるのかもしれない。

 もしそうだとしたら、それは真生さんが偉そうな正義感じゃなく衝動で写真を撮り続けてきたからだろう。人間が見つめあい発情しあいながら寄り添って生きていくことは愛だけれど、その見つめた視線を写真として残すことはもしかしたら暴力なのかもしれない。当時、真生さんの近くにいて被写体になった女たちや男たちは、真生さんがいつもカメラを持っていてシャッターを切ることは日常だったから、なんとも言っていなかった。だが、それはそうだとして、ギャランティを払っていない対象の姿を写真に撮って作品として残すということは(あるいは、たとえば文章に書くということも)暴力なのかもしれない。

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