1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 映画

手紙の宛先をもつ幸福について——「イル・ポスティーノ」【コラム/スクリーンに詩を見つけたら】

映画.com / 2024年11月8日 8時0分

 一緒に海を眺めながら、生まれたときから島に暮らすマリオにここがいかに美しいか教えようとして、ネルーダが詩を聞かせてやるシーンがある。「海へのオード」冒頭の一節だ。

島のここに

また どれだけの海が
海自身からあふれ出ているのだろう
いいわ といったのに いやよ
いや いや いや
青のなかで 泡のなかで
いいわ という 速く流れながら
いやよ いや という
じっとしていることができないのだ
わたしは 海よ と繰り返しながら
岩にまとわりついているが
くどきおとせない
すると
緑の七つの舌で
緑の七つの犬で
緑の七つの虎で
緑の七つの海で
岩を取り巻き くちづけし
潤して
その胸を打ちつけるのだ
自分の名前を繰り返しながら

田村さと子訳「海へのオード」(『ありふれたものへのオード』所収)より

 ネルーダの朗読の声にマリオはちゃんと海の波のたゆたいを聞き取り、詩にとってリズムがとても大切な要素であることを理解する。「言葉の真っ只中で揺れる小舟だ」と自分の感想を表現するマリオに、「隠喩」できてるじゃないか、とネルーダが言う。名誉も経歴も関係ない、詩人どうしの幸せなやりとり。この映画を見ている間、私は何度ニコニコしながら相づちをうってしまったことだろう。ほんとだよパブロ先生、マリオ、やるやん!と。

 詩が実用的なものであることを理解する人はすくない。でもこの映画には、詩の実用性が堂々と描かれる。『神曲』煉獄篇にも登場する詩聖ダンテの理想の女性と同じ、ベアトリーチェという名の食堂の女性に恋をしたマリオは、いよいよ本気で詩作に取り組む。実際にマリオがベアトリーチェに贈ったのは、ネルーダの詩の完全引用だったけれど、それはちゃんと口説き文句として必要に応じて機能して、ベアトリーチェとマリオは結ばれる。その結婚式の場で、ネルーダはふたりに祝婚歌を贈る。

 適切な場所で、適切な方法で謳われた詩は、いくらでも人の心を動かす。だからこそ、それが政治=戦争に用いられるとき、それは政治家から危険視され兵士から欲され、詩人を生かしも殺しもする。いま現在も、世界のいたるところで、同じことが起こっている。

 映画の後半、パブロ先生が逮捕令を解かれて故国に戻り、著名人として活躍を続ける一方で、マリオは島の貧しい暮らしに戻ってゆく。とても楽しみにしていたパブロ先生からの手紙が届いたと思ったら、それが「島に残した荷物をこの住所まで送るように」という秘書からの素っ気ない伝言だったときのがっかり感は、誰しも思い当たる節があるだろう。同じ内容が書いてあるとしたって、パブロ先生の言葉じゃなければ、意味がない。一言でいいから、パブロ先生が遠くで自分を思いだしている証の言葉がほしい。それはなかなか届かない。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください