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【「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」評論】舞台は九龍城砦、香港映画の新たな始まりを告げる快作が爆誕!

映画.com / 2025年1月19日 17時0分

【「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」評論】舞台は九龍城砦、香港映画の新たな始まりを告げる快作が爆誕!

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 2022年の「香港映画発展史探求」(国立映画アーカイブ)でカンフー映画の源流「黄飛鴻正伝 鞭風滅燭の巻」(1949)、ジョン・ウー監督「男たちの挽歌」(1986)の原典、龍剛監督作「英雄本色」(1967)、武侠映画の頂点とされるキン・フー監督の「忠列図」(1975)など11作品を観た。

 リーフレットによると香港映画には大きな転換期があった。1930年代、日中戦争と国共戦争を逃れるために上海の映画人が香港に流入し北京語作品が多数製作された。1950年代にはシンガポールで財をなした2大会社が東南アジア向けに北京語映画を量産。1970年代に入ると広東語映画が復権、アクションから娯楽、芸術性の高い作品まで百花繚乱の時代を迎えた。その後、この潮流は1997年の香港返還によって激変し、自ずと日本公開される香港映画の本数も減少していく。

 2024年に公開された「トワイライト・ウォリアーズ 決戦! 九龍城砦」は、香港映画史上歴代1位となる爆発的なヒット作である。遂にやってくれた。激烈なアクションもさることながら、師に対するリスペクトと仲間たちの熱い絆が全身を奮い立たせる。

 舞台となるのは清朝時代に軍事要塞として築かれた九龍城砦。第二次世界大戦以降、急速に都市化する香港で治外法権都市となった。わずか0.026㎢のエリアにキューブ状に積み上げられたビルは12階建て、狭い通路が迷路のように入り組む。階数制限された理由は、香港映画の定番である低空で飛ぶ旅客機の行路を保つためだ。

 1970年~80年代には黒社会が勢力を拡大し、非合法なビジネスが横行して、不法移民が居場所を求めて押し寄せていた。最盛期には住人は5万人を超えたが、独自の秩序を保ちトラブルは城砦内で解決された。生活には相互補助の精神があり、独自の食文化と医療環境も形成されていた。1993年に香港政府による解体が始まり95年に緑の公園となっている。

 広東語映画と九龍城砦は、香港の地政学的な独自性において切っても切り離せない関係で結ばれている。香港映画人のDNAに埋め込まれた九龍城砦の原風景を現代に蘇らせる。3歳の時に家族で城砦に引っ越したプロデューサーのジョン・チョンは、ソイ・チェン監督と共に8年の歳月を費やしてこの作品を仕上げた。特筆すべきは、約5000万香港ドル(円換算で10億円)を投じた九龍城砦のセット。入り組んだ城砦の内部と住人たちの暮らしが見事に再現されている。

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