「子どもが生まれたら変わるだろう…」の読みは甘かった! 家族より趣味を優先する夫の“不在中の一大事”
Finasee / 2024年3月27日 17時0分
Finasee(フィナシー)
「今度、北海道のトムラウシ山に行ってくるから」
仕事を終えて帰宅するなり、夫はさらっとそう言った。井上瞳は思わず文句を言いたくなったが、ぐっとこらえた。ここで自分がなにか言えば「話が違うじゃん」と言われ、また水かけ論が始まってしまう。
夫である智樹は大手化学メーカーでエンジニアをしている。仕事はそれなりに忙しいようだが、休みになると頻繁に登山に出掛ける。夫は学生時代から登山を続けており、富士山にはもう3回登ったことがあるという。
しかし、瞳は山にまったく興味がない。というより、学生時代にやっていたバレーで膝を痛めてしまったため、膝に負担がかかる登山をすることができないのだった。
「北海道の山とか、まだ寒いんじゃないの?」
「まだ雪は残ってるはずだからアイゼンは持っていくけど、普通に登れるよ」
「そうなんだ。何日間ぐらいかかるの?」
「東京から北海道を往復するのにも時間がかかるし、5日ぐらいだね。土日と有給を組み合わせるから大丈夫」
いったいなにが大丈夫なのか、瞳にはまったく理解することができなかった。夫婦2人で暮らしているならまだしも、まだ3歳の息子がいるというのに。
「パパ、おかえり!」
父親が帰宅した気配を察知した直太朗が布団から抜け出してリビングにやってきた。もう髪に寝癖がついている。
「直太朗、まだ寝てなかったのか」
「保育園でお昼寝したから眠くないもん!」
パジャマ姿の直太朗が夫にぎゅっとしがみついている。
「そんな格好でいると風邪ひくぞ」
夫は笑いながら直太朗の頭を優しくなでる。
決して息子のことが嫌いなわけではないし、自分のことを愛してくれているのも分かる。しかし、登山という趣味は夫にとって家族と同じくらい大切なものなのだ。それを見抜けなかった自分が良くないのかもしれない。
妊娠中に登山で家を空けた夫瞳が「子どもが欲しい」と言ったとき、夫はあまり良い顔をしなかった。子どもがいればお互いの自由な時間が減るし、人生の選択肢も狭まってしまうと言われた。
しかし、瞳はどうしても子どもが欲しかった。
「子どもが生まれても、山に行かないでとか言わないから」
瞳はそう言って夫を説得した。だから、つわりがひどい時期に智樹が登山のために数日間家を空けても文句を言わなかった。子どもが生まれたらきっと変わってくれるだろうと考えていた。しかし、夫は変わらなかった。
春になれば「新緑がきれいだから」と山に行き、夏になれば「夏は登山シーズンだから」と山に行き、秋になれば「紅葉を見逃したくない」と山に行き、冬になれば「樹氷を見たい」と山に行くのだった。
さすがに何度か文句を言ったのだが、そのたびに「話が違うじゃん」と言い返され、お互いが嫌な気分になるまで言い合いが続いた。たしかに自分は「子どもが生まれても、山に行かないでとか言わないから」と言ったが、実際に子どもが生まれたら、夫が自主的にセーブしてくれるものだと甘く考えていた。
「ほら、そろそろ寝ないと明日起きれないぞ」
夫はそう言いながら直太朗を軽々と抱っこして、布団の敷いてある和室へと消えていった。細身に見えるが、登山で鍛えている夫はなかなかたくましいのだった。
息子の異変宣言通り、夫は北海道のトムラウシ山へと向かった。土曜日の朝のことだった。難易度が高く、人が亡くなるような遭難事故も起きている山ということで心配だったが、瞳は大きなザックを背負った夫を見送るしかなかった。
夫を見送った瞳は、直太朗を近所の公園に連れて行った。2人でブランコや砂遊びを楽しんだ。
公園には子どもを連れた父親の姿も少なくない。もう母親だけが子育てする時代ではないということがよく分かる。直太朗ももっと父親と遊びたいだろう。
せっかくの土曜日なのに、瞳はなんだか切ない気持ちになってしまった。直太朗はあまり手のかからない子どもで、瞳に反抗したりすることがほとんどないのが救いだった。
次の日の朝、直太朗に異変が起きた。顔を真っ赤にし、悪寒で身体をぶるぶると震わせている。慌てて熱を測ると、なんと40度を超える高熱だった。
こんなことは初めてだった。
男の子は女の子より病気にかかりやすいと聞いたことがあったが、直太朗はこれまで大きな病気をしたことがない。せいぜい軽い風邪をひいて保育園を1日休む程度だった。
しかし、今回はただ事ではない。
直太朗は何も言葉を発することができず、はあはあとつらそうに息を吐くばかりだった。瞳は急いで救急車を呼んだ。手の震えが止まらなかった。
まさか、息子がこんなことになるなんて、想像もしていなかった。昨日まであんなに元気に遊んでいたのに。
救急車を待っているあいだ、智樹のスマホに電話をかけたが、つながらなかった。すでに登山を開始しており、電波の届かないところにいるのだろう。智樹に電話がつながったからといって状況が劇的に好転するわけではないのだが、この状況に自分ひとりで立ち向かわなければいけないと思うと、今にも気が狂いそうだった。
そうこうしているうちに救急車が到着し、救急隊員が家の中に入ってきた。ひときわ大柄な退院が直太朗を抱き上げ、救急車の中に運んでいく。
「直くん、もう大丈夫だからね」
救急車に同乗した瞳は直太朗に声をかけた。直太朗は小さくうなずくこともできない。瞳の不安はさらに大きくなった。もしも、万が一のことがあったらどうしよう。そんなことになる可能性は1%もないと自分に言い聞かせようとしたが、その1%があまりにも大きすぎるように感じた。
救急車が病院に向かうあいだ、瞳は何度もスマートフォンを確認した。しかし、病院に着くまでのあいだに夫から折り返しの電話がくることはなかった。
●こんな時に夫は何をしているんだろう……!不安と怒りに押しつぶされそうな瞳がとった行動は……? 後編【「息子がこんなことになるなんて…」幼い息子を放置し5日間も山へ行った「夫の趣味」が許せない妻のとった行動とは】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
大嶋 恵那/ライター
2014年立命館大学大学院経営管理研究科修了。大手人材会社などで法人営業に従事したのち、株式会社STSデジタルでライター業に従事。現在は求人系、医療系、アウトドア系、ライフスタイル系の記事を中心に執筆活動を続けている
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