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「何もしてやれなかった」相性最悪だった母と娘…亡き母親の手紙に綴られていた「意外すぎる本音と後悔」

Finasee / 2024年9月13日 11時0分

「何もしてやれなかった」相性最悪だった母と娘…亡き母親の手紙に綴られていた「意外すぎる本音と後悔」

Finasee(フィナシー)

<前編のあらすじ>

内村香苗さん(仮名・47歳)は昔から母親との相性の悪さに悩んできました。頑固で自分の考えを絶対に曲げない母親と一緒にいることが窮屈で、その関係性は社会人になっても一向に変わりませんでした。

そして25年前、母親から結婚に反対されたことをきっかけに大げんかに発展。家を飛び出し、強引に関係を断ちました。

上京後、内村さんは前夫と結婚して2人の子どもに恵まれますが、結婚生活は15年で終了。離婚後は娘と2人で暮らしています。こうした状況の中、夏に音信不通だった兄から手紙が届き、母親が亡くなったことを知らされました。

●前編:「今すぐ出ていきなさい」頑固な母親と結婚をめぐり大げんか…25年後、娘の元へ届いた“1通の手紙”

結婚に反対されて大げんかに発展

25年前のコスモスが満開の季節、結婚に反対されて母と言い争いになり、売り言葉に買い言葉で家を出ました。そのまま上京して前夫と結婚し、15年後に離婚した後も一度も実家の敷居をまたぐことはなく、仲の良かった3歳上の兄とも連絡すら取っていませんでした。

実家は父が単身赴任先の北九州で愛人と暮らしていて、地元の給食センターで働く母が家長的な存在でした。持ち家だったとはいえ父からの仕送りはわずかなもので、兄が高校を卒業して市役所で働き出すまで実質、母の収入で生活していたようなものです。

コミュ障気味で、頑固で融通が利かない母との相性は最悪でした。ですから都内の短大を卒業した後はそのまま東京にとどまるつもりだったのに、母が断固として許さず、地元の建設会社に就職していたのです。しかし、母と結婚した兄一家との生活は私にとって苦行以外の何物でもありませんでした。

短大時代に合コンで知り合った前夫の父親は都内で家具のチェーン店を経営していました。前夫は次男で跡継ぎでも何でもなかったのですが、母からは「お前みたいな田舎娘に、いいとこのお坊ちゃんの嫁なんて務まらない」と言われました。

カフェ経営が軌道に乗ると今度は夫婦の関係性が悪化する

結局前夫とは2人の子どもをもうけた後に離婚することになるわけですから、後から考えれば母の指摘は的を射たものだったのかもしれません。

私は長男の希が幼稚園に上がった頃からママ友とカフェを開業し、今では都内に4店舗を展開しています。カフェの経営が軌道に乗ると多忙になり、家族、特に前夫のことを顧みる余裕がなくなっていきました。

肩書上は義父の会社の役員でも実質何の権限も与えられていなかった前夫には、自分の支配下にあったはずの私が、ちっぽけなカフェであろうと経営者として成功を収めることが許せなかったのだろうと思います。

結局10年前に離婚し、当時小学5年生だった長男の希は夫の元に残し、中学生の長女の未来と暮らし始めました。

未来の頑固で融通の利かない性格は母に瓜二つで、私はせっかく母の呪縛から逃れたにもかかわらず、子育てを通してまたあの息苦しさを感じるようになっていました。しかし、未来の方は平然としたもので、大学入学後も家を出ていく様子はなく、今春からは大学院で学んでいます。

そんな時、突然、音信不通だった兄から手紙が届いたのです。そこには、「母さんが亡くなった。話したいことがあるので一度会わないか」と書いてありました。

手紙にあった兄のアドレスにメールを送るとすぐに返信があり、その週末に兄が上京することになりました。25年ぶりの再会だったにもかかわらず、お互いの近況を語り合うのもそこそこに兄が切り出したのが、母が残した遺産と、私宛ての手紙に関する話でした。

母親が手紙に綴っていた本音と後悔

私が上京して間もなく両親は離婚しました。やがて母は甥を溺愛する義姉と不仲になりアパートを借りて家を出ましたが、亡くなる直前まで給食センターで働いていたそうです。

近くに住んでいても、ほとんど兄一家との交流はなかったとか。身内と人間関係をうまく結べない母らしいと思いました。そして1カ月ほど前、自宅で亡くなっているところを発見されたのです。母の遺体を見つけたのは、幼なじみの正枝さんでした。

ちなみに、母は自分の葬儀について互助会で手続きをし、支払いも済ませた上で書類や領収証を正枝さんに預けていたそうです。

母の葬儀を済ませた兄はアパートの片付けをしていて私宛ての手紙と、500万円の預金通帳を見つけました。便箋5枚ほどの手紙には私への溢れんばかりの思いが綴られていました。

男ばかりの兄弟で育ったため、女の子を授かったことがうれしくてたまらなかったこと。学歴のないコンプレックスから、自分の考える理想のしつけや教育を私に強要してしまったと後悔していたこと。手紙の最後には、「香苗には何もしてやれなかった。せめてもの償いとして、少しずつ貯めたお金を受け取ってほしい」と書いてありました。

私のことを疎んでいるとばかり思っていた母の意外すぎる本音を知らされ、戸惑いを隠せませんでした。すると兄は、私におもねるようにこんな提案をしてきたのです。

「香苗にとっては500万円なんてはした金だろう? 良かったら相続放棄してくれないかな? もうすぐ息子が結婚する予定で、今、うちは何かと物入りなんだ」

上目遣いで私の顔色をうかがう兄の表情がとても卑しく見えました。あの家族思いで優しい兄がこんなことを言い出すなんて。

確かに、今の私は母の援助がなくてもやっていけます。しかし、あの手紙を読んでしまった以上、母が私のために貯めておいてくれたお金を受け取らないわけにはいきません。

加えて、両親が離婚する際に自宅は兄名義に書き換えたと聞きました。兄妹平等に親の遺産を受け継ぐのなら、この500万円を私がもらっても文句は言えないはずです。

兄の説得は延々1時間近くに及びましたが、私は絶対に首を縦に振らず、兄は「お前は変わらないな」と吐き捨てて帰っていきました。

娘に気付かされた自分自身の悪い癖

それから2カ月後ほどして、司法書士事務所を経由し500万円が私の口座に振り込まれました。兄からは何の音沙汰もありません。今思えば、疎遠な私に連絡をよこしたのは、500万円を自分のものにする言質を取るのが目的だったのでしょう。

兄には私が母の遺産など受け取らないだろうという勝算があったのでしょうが、あの手紙のせいでまんまと目論見が外れてしまったのです。

同居する未来にも今回の経緯は伝えました。

すると未来が「おばあちゃんは不器用だけど一本芯が通った人だったんだね。生きてるうちにリアルおばあちゃんに会いたかったな」と残念がるので、「そう? コミュ障だし、頑固で融通が利かない人って感じだけど」と言うと、「それってお母さんのことじゃん!」と返されました。

これには驚きました。

その時に初めて聞かされたのですが、未来は私が離婚して以来、「世間知らずのくせに意固地で孤立しがちなお母さんを放っておけない」という希のたっての願いで私を見守ってきたのだそうです。知らぬは私ばかりだったのです。

意見が対立した時、相手の言葉に聞く耳を持たず、自分を押し通そうとするのは私の悪い癖です。「頑固で融通が利かない母や娘」はそんな自分の姿の投影だったのかもしれません。

母と言い、前夫と言い、家族に恵まれない人生と諦めていましたが、この年になってそうでもなかったことが分かりました。母にはもう親孝行できないので、残りの人生、子どもたちとの絆を大切に生きていきたいと思っています。

※個人が特定されないよう事例を一部変更、再構成しています。

森田 聡子/金融ライター/編集者

日経ホーム出版社、日経BP社にて『日経おとなのOFF』編集長、『日経マネー』副編集長、『日経ビジネス』副編集長などを歴任。2019年に独立後は雑誌やウェブサイトなどで、幅広い年代層のマネー初心者に、投資・税金・保険などの話をやさしく、分かりやすく伝えることをモットーに活動している。

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