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BOOK 満州で見た真実 ソ連兵から日本女性の貞操を守るために〝ひと肌脱いだ〟女傑 藤原作弥さん『満州、少国民の戦記 総集編』

zakzak by夕刊フジ / 2024年9月21日 10時0分

藤原作弥さんの著書「満洲、少国民の戦記」(夕刊フジ)

通信社記者から日銀副総裁になった藤原作弥さんは少年時代、満州で壮絶な経験をした。公開処刑、秘密のアジト、体を張った女傑の物語。3度目の刊行となる今回は総集編。日本人が忘れてはならない「真実」がそこにある。

――終戦前後の満州で体験した貴重な記録

「(本書に書いたのは)私が8歳から9歳にかけて起きたことです。(昭和20年8月9日に)ソ連軍が満州へ侵攻してきたとき、私たちの一家は(満州国北西部の)興安街にいた。父親がそこにあった満州国軍の軍官学校(日本軍の士官学校に相当)の教官をしていたからです。幸いなことに私たちはソ連軍が興安街へ来る前の10日、〝最後の貨物列車〟に乗って脱出することができた。ところが私の小(国民)学校の同級生の半数以上は逃げる途中でソ連軍に追いつかれ、虐殺されてしまったのです」

――葛根廟(かっこんびょう)事件ですね

「ソ連軍の戦車に蹂躙(じゅうりん)されたり、銃撃されたり、追い詰められてやむなく自ら命を断った人など1000人以上が亡くなりました。不覚にも私がこの事件のことを知ったのは戦後もずっと後のこと。『どうして私だけが生き残ったんだ…』と号泣しましたね」

――興安街を脱出した藤原一家は、朝鮮半島との国境の街・安東へたどり着くも、それ以上は進めなかった

「安東は(満州と朝鮮半島を隔てる)鴨緑江という大河のほとりにある大きな街。河をソ連兵が警備しており、日本人は留め置かれました。結局、私たち一家は21年秋に日本へ引き揚げるまで1年以上を安東で過ごすことになる。本書に書いたのは主に安東での〝抑留生活〟の記録です」

――藤原少年は鴨緑江の河川敷で行われた「公開処刑」を目撃する

「私は、子供ながら少しでもお金を稼ぐため『たばこ売り』をしていた。何やら騒がしいことが起きているらしい…と何気なく付いて行ったら、公開処刑が行われるところだったのです。八路軍(中国共産党軍)が敵対する国民党軍の兵士を銃で撃ちました。処刑されたのは10人以上もいたでしょうか。逃げ出そうとした兵士もつかまり、容赦なく殺されました。子供の私には衝撃的な光景でした」

――日本人も処刑されたそうですね

「そう聞きました。旧満洲国の安東市公署の幹部職員や経済人などが、やはり八路軍に捕まり、『人民裁判』にかけられた上で処刑されたそうです。私たち一家らを安東まで率いてくれた元の軍官学校幹部や市公署の元総務課長らは(八路軍に)捕まらないように〝地下にもぐる(潜伏生活)〟しかありません」

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