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ぴいぷる 吉本新喜劇GM・間寛平、ともに100歳まで?走るで~ 子供、おっちゃん、おばちゃんに愛される劇団じゃないとあかん!

zakzak by夕刊フジ / 2024年8月21日 6時30分

間寛平(夕刊フジ)

よみうりホール(東京都千代田区)で7月7日に行われた吉本新喜劇65周年記念ツアーの初日、寛平ちゃんが目の当たりにしたのは、これまでにない観客の熱気だった。

「座員の誰かのファンが集まったわけじゃなく、新喜劇全部を愛してくれているんだと分かりましたね。今までと比べると異常とも思えるような盛り上がりでした。ものすごかった。1時間15分くらいの芝居が1時間45分くらいに。そら延びるわ!」

「かい~の」「血ぃ吸うたろか」「ア~メマ」など数々のギャグを繰り出すレジェンド芸人である一方、新喜劇のGM(ゼネラルマネジャー)として109人の座員をまとめる立場でもある。劇団が全国的に愛されているという実感を持てたことが、何よりもうれしかった。

「劇場の外で待ってくれている人の中にも関東の人が多かった。関西だけじゃなく、関東の人もこうして応援してくれるようになったんやなあと、うれしくなりましたね」

間違いなく自身もその人気を支えてきた1人だ。名コンビとして人気を博した木村進さんと新喜劇を盛り上げようと誓い合い、ドタバタ喜劇に挑んできた。

「台本に『寛平と進、けんかして大暴れ』と書いてあって、そこでボケの僕がボッコボコに殴られて、か細い声で『負けそう…』。ほんなら、これが大ヒット。関西の人がみんな、ものまねしてました」

座長に抜擢(ばってき)されたとき、24歳という若さだった。

「藤山寛美さんたちがつくりあげてきた松竹新喜劇と違い、吉本新喜劇は雑草の集まりみたいなもの。勢いでドーンと行けばいいだけ。僕らが若い頃もそうだった。『余計なことすな!』と言われても、目立ちたい願望が強かったですね」

1989年に退団して東京進出後はバラエティー番組などで活躍。マラソンとヨットで世界一周する「アースマラソン」でも話題を呼んだ。

2022年に新喜劇のGMに就任してからは、若手を起用する「セカンドシアター」の設置、座員総選挙開催など、新世代を担うスター育成に心血を注いでいる。

「僕がずっと出たがっていると思われるのも嫌なので、若い子たちに任せていこうかと。僕は座長としては1年に1回くらいしか出ていないけど、お客さんの前に立つことで若手たちが自信をつけているのが分かりますしね」

勢いのある若手に頼って人気を獲得することはメリットばかりではない。中堅クラスがくすぶってしまうデメリットもあるという。さまざまな年代の個性あふれる芸人が集う喜劇集団ならではの悩みどころだ。

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