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歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡 中森明菜「紅白はコミュニケーションの場でもあってほしかった」 2002年の紅白出演で感じた「寂しさ」

zakzak by夕刊フジ / 2024年7月30日 11時0分

とはいえ、明菜はステージでは輝いている(夕刊フジ)

14年ぶりにカムバックした2002年の「第53回NHK紅白歌合戦」だったが、中森明菜にとって当初、頭の中で描いていたイメージとは大きく違っていたようだ。

「紅白」へのカムバックが決まった時、明菜は「緊張すべきなのに、何かすごく楽しみなんです」と顔をほころばせていた。さらに「(1980年代の)私がたくさんの番組に出させていただいた間というのは、しょっちゅう顔を合わせ、あいさつができて、いろいろとコミュニケーションを取ることができた時代だったんです」と振り返ると、続けて「その後、音楽番組が減っていって、私もテレビから遠のいた時代があったんです。ただでさえ(仲間の)皆さんとお会いできる機会がなかったので、『紅白』に決まった時は、すごく懐かしさがあったんです。皆さんとお会いできて、おしゃべりさせていただくんだなって思っていたんです。本番になったら、楽屋から何からキッチリ分かれてしまうので、ですからリハーサルとか、すごく楽しみだったんです」

明菜は、デビュー2年目の83年に初出場して以来、88年まで6年連続でトップ・アーティストとして出場してきた。

「本当に無我夢中だったんです。ですから、それこそ『紅白』が全部終わって、着替えで楽屋に戻って、フッと気づくと除夜の鐘が鳴っているんです。その後、みんなと『終わったね。お疲れさまでした』って言い合っている時が一番楽しかったし、『紅白』に出られたことが実感できるひと時だったんです。『あー、また『紅白』に出られたんだ』って」

しかし、カムバックしたこの年は、やや様相が変わっていたようだ。

「紅白」の出場後、2、3カ月過ぎた頃だったと思うが、明菜に筆者は紅白出場の感想を求めたことがあった。

明菜は、やや言葉を選んだ口調で「久しぶりだったんですが、思っていたのとは違っていたかな」とか細い声で答えたことが今でも脳裏から消えない。すでに数カ月たっていただけに、冷静な感想だったはずである。そこで筆者は「違っていたとは?」と尋ねたと記憶しているが、明菜は「私が毎年出場していた時って、リハーサルに限らず、歌う前でも歌った後やお疲れさまの後、登場の仕方から衣装のことや振り付けなど、とにかく褒めあったり、思ったことを言い合っていてね。それが自分にとっての刺激になっていたし、『紅白』では一番楽しかったのですが、今回は、そう言ったことがまったくなくって…」。

この年、明菜は自らのヒット曲を新たにアレンジし直して再録した初のセルフ・カバーアルバム「Akina Nakamori~歌姫ダブル・ディケイド」から、井上陽水が明菜のために書き上げた1984年の大ヒット曲「飾りじゃないのよ涙は」を熱唱した。しかも、この年のみ紅白交互出演の順番を崩して明菜は安室奈美恵との「新旧同組対決」となったことも話題となった。

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