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歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡 〝あり得ない出来事〟〝切り札〟中森明菜が2002年「紅白」でカムバック…「ファンの子たちが喜んでくれるのが私にとっては一番」

zakzak by夕刊フジ / 2024年6月11日 11時0分

舞台でこそ明菜は輝く(夕刊フジ)

2002年。デビュー20周年を迎えた中森明菜は、大手のユニバーサルミュージックと契約を結び、カバーアルバム「ZERO album~歌姫Ⅱ」(3月20日)を出すと、年末には悲願だった初のセルフカバーアルバム「Akina Nakamori~歌姫ダブル・ディケイド」(12月5日)も発売。その勢いで年末の「第53回NHK紅白歌合戦」の出場も決めた。「紅白」出場は実に14年ぶりだった。

「正直言って信じられない出来事でしたね」と振り返るのは当時を知るベテランの芸能記者だ。

「わずか2年前ですよ、当時所属していたレコード会社の社長が記者会見まで開いて『芸能界に置いておいてはいけない』と言ったのは。ほとんどのマスコミが『もはや明菜の再起は難しい』と思ったはずです。それがユニバーサルと契約したばかりか、『紅白』にカムバックですからね。普通に考えたらあり得ない出来事でしたよ」

「紅白」へのカムバックは明菜もうれしさを隠しきれなかった。

「何のために、この仕事をしているのかって言ったら、ファンの子たちが喜んでくれるのが私にとっては一番でしたから」と言うと、「『やった! 明菜! ありがとう。紅白を見るのが楽しみになった、うれしい』って喜んでくれる声が、私はもちろんですが、スタッフも本当にうれしかったんです」。

明菜の「紅白」出場は「昭和最後」の1988(昭和63)年以来だった。

「明菜がカムバックした2002年の出場歌手は、演歌歌手が前年の26組から18組に減る一方、デビュー1年前後の若いアーティストら初出場組が14組もいて、『紅白』が一気に若返りを図った年でした。海外旅行や24時間フル営業のアミューズメントが増加し、年末年始の過ごし方が大きく変化し、特に若者の在宅率の低下がテレビの視聴に影響するようになり、それが『紅白』にも反映し始めていたのです。NHKも危機感を抱き始めていて、この年から放送総局長を中心に紅白検証プロジェクトチームを編成していました。そんな中、同局の看板番組『プロジェクトX』の主題歌『地上の星』が121週もチャートインしていたにもかかわらず『紅白』への出場を固辞し続けていた中島みゆきの初出場が決まり、黒部ダムから生中継したのもこの年でした。メンバーの不祥事で前年は出場を自粛したSMAPの復帰と合わせて、明菜復活は『紅白』の切り札的な要素でした。一方でユニバーサルからソニー・ミュージックエンタテインメントに出戻った(松田)聖子は落選しました…」(前出の芸能記者)

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