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ぴいぷる バイオリニスト・千住真理子の音色 追い詰められ「こんな人生、早く終わって」から再起 水泳と毎朝生卵3個のイッキで体力づくり

zakzak by夕刊フジ / 2024年11月27日 6時30分

千住真理子(夕刊フジ)

聴く人の心に響く音とは何か―。日本を代表するバイオリニストの1人で、来年、デビュー50周年を迎える彼女は、今もその音を模索し続けている。

「10代、20代のときはバイオリニストになりきれず、悩んだこともありましたが、50年たつと悩んでるどころじゃない! CDもそうですが、人の心に届く音を残したいという気持ちが強くなっています」

穏やかな笑顔を浮かべるが、内に秘めた音楽に対するエネルギーの強さは相当なものだ。体力づくりとコンディション維持のためにプールで1キロ以上泳ぐことを習慣とし、毎朝コップに生卵3個を入れて一気飲み。極限まで自分のための時間を削り、相棒である名器「デュランティ」とともに音楽と向き合う。

「そこまでしなければ弾きこなせないんです。体力のない状態で弾きこなそうと頑張りすぎると、体が壊れてしまう。私も半分そこまで行きかけて、点滴をしながらコンサート会場に向かったこともありました」

デュランティは世界一高価なバイオリン、ストラディバリウスのひとつだ。1716年製とされているが、2002年に彼女の元に届くまで、プロ演奏家の手に渡ったことはなかったという。

「約300年間、弾かれていなかった楽器なので最初のころは難しくて、7年くらいは私のいうことを聞いてくれない時期がありました。今では私の体の一部のようになってくれています」

12歳でプロデビューを飾り、15歳で日本音楽コンクールの最年少優勝を勝ち取ると、「天才少女」ともてはやされたが、それは大きな重圧となって彼女にのしかかった。

「練習しても練習しても、私にとっての天才のイメージに追いつかない。どんどんプレッシャーになっていきました。追い詰められて毎日のようにおなかが痛くなり、じんましんが出たこともありました。高校、大学と進むうちに積もりに積もって、『こんな人生、早く終わってほしい』とさえ考えてしまうようになっていました」

疲れ果てて、20歳でバイオリンとの距離を置いたとき、ホスピスから届いたボランティア演奏の依頼が、再起のきっかけとなった。

「練習をしていなかったので、うまく弾けなかったのですが、ホスピスの皆さんが『ありがとう』と目を真っ赤にしながら言ってくださった。その言葉で救われたんです。こんな演奏でもありがとうと感謝してくれる人がいる。私の人間性が少しずつ戻ってきて。それがきっかけで練習を再開しました」

自分の音を聴きたいと言ってくれる人のためにバイオリンを弾く。そう決意した。聴衆からの「ありがとう」は、今も変わらず自身を奮い立たせる原動力となっている。

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