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衝撃受けた先輩は「いなかった」 選手は自己中に…100敗目前、暗黒時代の“実情”

Full-Count / 2024年5月25日 7時30分

DeNAなどでプレーした山口俊氏【写真:湯浅大】

■山口俊氏は力士だった父に鍛えられ、柔軟で力強い下半身を身につけた

 DeNAや巨人などでプレーした山口俊氏は、元幕内力士・谷嵐の久さんから譲り受けた体格を生かし、NPBで先発や抑えとして活躍。メジャーも含めて17年のプロ生活を送った。大分・柳ケ浦高から2005年高校生ドラフト1巡目で横浜(現DeNA)に入団。チームは同年こそ3位だったが、2006年からの10年間で最下位7度、Aクラス入りは1度もなく、ファンの間で「暗黒時代」と呼ばれた時期だった。Full-Countのインタビューでは幼少期や横浜入りを希望していた理由などを語った。

 幼い頃から父が開いていた地元・大分の相撲道場へ通い、四股、すり足、ぶつかり稽古などで鍛えられ、自然と柔軟で力強い下半身が出来上がっていた。「粘りという点では相撲トレーニングは生きていたと思います。投げる上で重要な“ため”ができた。動きの中での強化。(現役中も)四股は踏んでいましたけど、もっとやっておけばよかったと今は思います」。

 始めは相撲と野球の“二刀流”も、小学5年頃に野球に専念。中学時代は仲間にも恵まれ、九州大会に出場。高校進学時には全国40ほどの学校から声がかかったという。

「私は大分の中津市出身なのですが、地元から甲子園に行きたかった。柳ケ浦高の練習を見学したときに、レベルが高くて、子供ながらに自分もここで成長したいと感じる部分がありました」。1年夏、3年春に甲子園に出場。2年時には明治神宮大会で優勝するなど、プロ注目の存在となっていた山口氏は「地元九州のソフトバンクか横浜に入りたい」と希望していたという。

「試合に出られるチャンスがあるかなと思ったんです」。ドラフトイヤーだった2005年のソフトバンクは杉内俊哉、和田毅、斉藤和巳、新垣渚がいずれも2桁勝利をマーク。「鉄壁な投手陣で、これじゃ無理だと」。一方で横浜は三浦大輔、門倉健、土肥義弘が2桁勝利を挙げたが、ソフトバンクとの層の差は大きく「ここなら自分が頑張れば早くローテに入れるかなと思いました。意中の球団が自分に興味を示してくれたのはよかった」と振り返った。

■好打者が揃っていたが…負け続けた理由は「いまだにわからない」

 飛び込んだ憧れのプロ世界。待ち受けていたのは膨大な練習量だった。「こんなに練習がきついんだと思いました。技術練習ではなく、当時は根性論的な。めちゃくちゃ走りました。こんなんで野球うまくなるんかな、と感じていたのは鮮明に覚えています」。

 当時の先発陣に対しても「捕手のミットが動かなくて、三浦さんのコントロールは凄いと思いましたけど、大きな刺激となるような、衝撃を受けた先輩は正直、いませんでした。むしろ頑張ればチャンスがあるなと思っていました」。実際に高卒1年目ながら6月29日の巨人戦(横浜)先発でプロ初登板を果たすと、6回2安打1失点でいきなり初勝利。この年は5試合に先発し1勝2敗、翌2007年も6試合に登板するなど、徐々に頭角を現していった。

 野手陣には内川聖一、村田修一、石井琢朗ら好打者がズラリと揃っていたが、勝てなかった。「正直、いまだにわからないんです。なんで勝てなかったのか。投手陣は点を取られていたけど、ある程度のメンバーがいて、なんでなのかなと思っていました。負けて当たり前ではないけど、そういうのがあったんでしょうね。選手層とかではなく」。

 2008年からは3年連続で90敗超。周囲からは「100敗するのでは」とも言われた。51勝93敗だった2009年は、リーグを制した巨人との差は42.5ゲームだった。

■Aクラス遠のき「最終的に個人成績に走ってしまいます」

 交流戦や球宴明け頃から優勝戦線から離され、Aクラス入りも現実的でなくなると「最終的に個人成績に走ってしまいます。チームとして1点を取りにいくよりも、打者は自分が打てればいい。投手は自分が抑えればいい、という雰囲気になっていました。そこが勝てるチームと勝てないチームの差なのかなとは思います」。

 それでも山口氏は個人成績を重視することに理解も示している。「仕方ないですよね。勝てないから個人成績に走るというのは当たり前だと思います。各選手の成績が上がればチームも勝てるのでは、という考えもある意味で理にかなっているので」。

 山口氏自身にも同様の意識があった。「プロの世界ですから。自分の成績を出さないと評価されない。チームが勝てないなら、自分の成績を上げて自分の価値を高めないと意味がないと思ってやっていました」。勝てない時期にファンから厳しい声もあったが「僕自身はあまり気にしていませんでした。ただ、選手たちは『みとけよ』という気持ちで戦っていましたね」。横浜暗黒時代のチームの“内情”だった。(湯浅大 / Dai Yuasa)

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