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挑戦し続ける人生を…名古屋入団内定&特別指定、慶大MF宮地元貴の思い

ゲキサカ / 2016年8月3日 17時49分

 高校進学を前に、宮地は“再挑戦”を決意。日本一を経験した仲間と、高校3年間も共にサッカーをしたい思いはあったが、「このカテゴリーではヴェルディの下部組織が日本一だと思っていた。そんな環境が近くにあるのに挑戦しないわけにはいかない。もっと上のレベルがある。挑戦しようとリベンジしたい気持ちが強かった。抵抗はあったけど夢に近づくためだと思った」と再び東京Vユースのセレクションを受ける。そこで出会ったのが現・東京Vの冨樫剛一監督だった。

 冨樫氏はジュニアユースのセレクションを受けていた宮地を覚えていた。ユースのセレクションを受けに来た宮地を前に、「そこまでヴェルディでやりたいと思ってくれているのは嬉しいし、ここでやりたいと思っている人と一緒にサッカーがしたい」と言葉を掛ける。晴れてセレクションに合格。学校生活は桐蔭学園高で送り、サッカーは東京Vユースで過ごす日々が始まった。

 ユースでは思うように試合へ出場できずにいたが、最終学年になるとCBとして、出場時間を伸ばしていった。そして高校3年時にはAO入試で慶應義塾大へ合格。大学生活をスタートさせた。当時の目標は「4年後に東京Vへ帰ること」だった。

 そして4年目を迎えた今夏、進路を決断する7月某日の前日。宮地が会ったのは冨樫氏だった。「お世話になった人だし、冨樫さんがいなかったら今の自分はない。練習参加もさせてもらっていたし、決める前に一度お話したいと思っていたので。最後の最後でなかなか決めきれない。自分のなかで優先順位はできていましたけど、でも最後に冨樫さんと会ってから決めようと思っていました」。

 当初はクラブハウスへ行くことを考えていたが、なかなかタイミングが合わず。食事をすることになった。冨樫氏と始めて会ったとき、12歳のあどけなさ残る少年だった宮地だが、あれから10年が経ち、精悍な顔つきとなった22歳の青年に成長していた。

 冨樫氏からは「まずヴェルディというクラブの人間として、ユース出身者だし、戻ってきて欲しいという思いがある。それと監督としては、ユースの出身者とか関係なく、一人の選手として戻ってきて欲しいし、そういう風に評価しているよ」と言葉をかけられた。

「でもどこに行っても自分次第だし、サッカー界は狭いし、またどこかで一緒にサッカーをすることはあるかもしれないし、こういう縁は大切だよね」

 水面下で宮地と東京Vはやり取りしており、宮地の元へ他クラブからオファーがきていること、東京V以外のクラブを選択する可能性が高いことを東京Vサイドは認識していた。それ故、正式オファーは出していなかった。その後に、東京Vが宮地へ正式オファーを提示する動きをみせたが、既に他クラブへの返答期限も迫っていたために立ち消えに。そして名古屋入りを決めた。

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