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「セレッソの人が今の僕を見たら…」 高知大MF後藤寛太、選手権を沸かせJリーガーになった男の“決断”

ゲキサカ / 2016年12月8日 22時1分

中盤の底で攻守に奮闘した高知大MF後藤寛太

[12.7 大学選手権1回戦 法政大6-0高知大 江戸川陸]

 試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、チームメイトがピッチ上に崩れ落ちる中、気丈に整列へと向かった。前半16分に退場者を出して数的不利での戦いを強いられた高知大は、法政大に0-6の完敗を喫する。MF後藤寛太(4年=市立西宮高)にとって大学生活最後の公式戦。「込み上げてくるものはある」と悔しさを滲ませつつも、「チームのことを考えると、こんなこと言っていいのか分からないけど、最後の舞台で楽しむことは達成できた」と清々しい表情を見せた。

 後藤が一躍脚光を浴びることになったのは、5年前に行われた第90回全国高校選手権だった。初出場・市立西宮高のエースとして躍動。初戦の山梨学院高戦で2得点を奪って優勝候補撃破の立役者になると、続く近大附高戦、大分高戦でもネットを揺らして3試合4得点と強烈なインパクトを残し、チームをベスト8へと導いた。そして、大会後にはC大阪への加入が発表される。

 当時を振り返った後藤は「正直、選手権のことはそこまで覚えていないんですよ」と苦笑しながらも、C大阪での経験は「僕の人生を変えましたね。やっぱり、セレッソの一年間の方が僕には大きかった」と話した。

 後藤が在籍した12年のC大阪にはFW柿谷曜一朗、MF山口蛍ら現在もチームをけん引する選手に加え、現セビージャのMF清武弘嗣も所属。トップレベルの選手たちと行う日頃のトレーニングから、レベルの差を感じていたという。「本当に苦しかった。通用しなさ過ぎて、サッカーができなくて…。俺じゃ通用しないんだって痛感した」。だが、苦しい状況でも必死に食らいついて行く中で、「性格が良い意味で変わった」という。

「僕はすごいネガティブだったんです。でも、ネガティブな考えではやっていけない世界だった。自信を持ってやらないと何もできないと考えるうちに、すごいポジティブになれた」。トレーニング中にも柿谷や山口、清武の姿を目で追い、「盗めるものは盗もうとした」。だが、C大阪に在籍した1年間で公式戦の出場はなく、「すごく悔しかったし、辛かった」と年末には契約満了が発表される。

 その後、12年度に合格し休学していた高知大に復学することになるが、「高知大の1、2年生の頃はもう一度プロでやりたいというガツガツした思いがあった」とプロへの道を諦めてはいなかった。「3年生までは、ほとんど試合に出られなかった」と結果がついこない日々が続いたものの、転機が訪れる。「今年ですかね。それまではFWや左サイドハーフをやっていたけど、川田(尚弘)監督に運動量を買われてボランチでプレーするようになった」。そして、ボランチとして、4年生になってスタメンに定着する。

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