1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. サッカー

[清宮×外池]早稲田大優勝記念特別対談vol.2 相馬事件

ゲキサカ / 2018年12月3日 22時57分

外池 「メンバーはちょこちょこ変えますね。去年まではメンバーは15、6人で動いていたんですけど、今年は試合に出ただけでも35、6人いると思います」

清宮 「確かに俺がワセダの監督をしていた頃も、試合に出した選手が多いことを自慢していた時期があったな。去年、同じようなメンバーでボロボロに負けていったチームが、戦術の変更だけである程度変わるんだよね」

外池 「今年に限って言えば主務の秋葉遼太(4年=駒場高)と、ア式を代表して学連(リーグ運営)に行って仕事をしている榎本大輝(4年=早稲田実高)をリーグ戦に出したことがありました」

清宮 「同じことをやったな俺も(笑)」

外池 「ある種、競技者としては諦めないといけないという立場の2人だったんですけど、後期の開幕で上手くいかなかった時に、チーム全体に前期で2位法政大に勝ち点差8をつけたことによる慢心があることに気づいたんです。うちだけが何となくいい感じだったよね、という空気が蔓延していたので、一回ぶっ壊さないといけないなと」

清宮 「良い監督だね!」

外池 「そこで『一回ぶっ壊すよ』と本当に言って、全部フラットに紅白戦をやった時に浮上してきたのが秋葉だった。戦うという姿勢があるかないかでメンバーを決めたので、空気感が変わったんです。榎本は10月20日の国士舘大戦で出したんですけど、5-1という状況だったんですが、そこから6-1、7-1に出来る状況に持って行ける選手をと考えたときに、1分1秒を大切にする選手じゃないといけないなと思ったんです」

清宮 「俺も同じような話をすると、ワセダを辞める年(2005シーズン)に同じように主務を使いだしたんだよね。主務というのは3年生で競技者としては引退して、4年生はマネジメントをやってという歴史があったんだけど、そもそもの役割分担を変えた。やり方を変えることはいくらでもできるんだと示すいい例だったと思っている。結局は『愛』、監督は『愛』がないと出来ないんだ」

外池 「恥ずかしくて学生にも言っていないんですけど(笑)、実は清宮さんとの出会いで一番インパクトがあったのは、監督に必要なことって何ですかと聞いていた時に、『愛』だよって言われたことなんです。それであることをしようと決めたんです」

学連で仕事をする榎本大輝を試合で起用した

vol.3に続く――

●清宮克幸
1967年7月17日、大阪府大阪市出身の51歳。2001年に母校早稲田大ラグビー部の監督に就任。2年目の03年に13年ぶりの大学日本一に導く。その後、トップリーグのサントリー、現在指揮をとるヤマハ発動機でも監督として日本一に輝く。北海道日本ハムファイターズでプレーする清宮幸太郎は長男。

●外池大亮
1975年1月29日、神奈川県横浜市出身の43歳。早稲田大を卒業後、1997年に平塚(現湘南)に入団。その後、横浜FM、大宮、甲府、広島、山形、湘南と渡り歩き、2007年を最後に現役を引退。引退後は電通に就職。現在はスカパーに籍を置きながら、早稲田大ア式蹴球部の監督。

(構成 児玉幸洋)●第92回関東大学L特集

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください