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デフサッカー日本代表FW林滉大が来春、ドイツのクラブに挑戦。現役日本代表では史上初!

ゲキサカ / 2019年1月1日 7時30分

 先天性感音性難聴の林は生まれつき、耳が聞こえず、補聴器をつけていても音を言葉としてはとらえられない。したがって、口の形と音を組み合わせて言葉を理解する。通学していたろう学校に当時デフサッカー日本代表監督の教師がいたため、小学2年生の頃にはデフサッカーの存在を知っていたが、林自身は中学まで健常者に交じって一緒にサッカーをプレー。しかし高校では試練を味わう。全国大会にも出場経験のある古豪に進み、練習試合で点を決めたり結果を残しても、林は卒業まで公式戦には1度も出られなかった。林は入学当初、「障害をもった人を試合に出したら不利になるから試合には出せない」と言われていた。それでも朝早く練習し、夕方の全体練習後も個人練習を継続。勉強でも常に学年でベスト5に入っていた。

「すべてにおいて認めてもらおうと思って頑張りましたが、それでもダメでした。高校3年生の最後の大会のメンバーにも入れなくて、そこでサッカーに対する気持ちが一度、なくなりました」
昨年11月の全日本選手権ではMVPに輝いた
 亜細亜大学にはサッカーの推薦ではなく、指定校推薦で入学。大学入学を控えていた高3の2月、当時、デフサッカーの日本代表監督をつとめていた中山剛氏(現・U-23日本代表監督)が日本代表候補合宿に林を呼んだことがきっかけで、デフサッカーを本格的にはじめた。並行して亜細亜大学サッカー部でも活動。4年生時に公式戦に出られるまで成長し、11月のデフサッカー全日本選手権ではMVPに選ばれた。

「中学のクラブは障がいを関係なく、僕をひとりの選手として見てくれました。元北朝鮮代表だった当時の監督にはこう言われました。『自分は在日朝鮮人で日本人と一緒にプレーする中で言葉や人種など“違い”を理由とした困難に直面した。サッカーのピッチ上になると、聴覚障害は、人種が違う、国籍が違う、身長が高い、低いと同じで、特別なことではなくなる。君は他人に持っていない能力と技術を持っているからそれを伸ばしなさい』と。監督のおかげで中学では自分の本当の力を見せることができました。今思い出すと、監督の言葉が(試練の時期となった)高校3年間続けられたモチベーションになっていた気がします」

 正月は自宅で家族や5匹のチワワと過ごす林は、新年の決意をこう明かした。

「僕にとって、今年のアジア予選に出られれば初めての出場になります。自分がゴールを決めて、日本代表を勝利に導きたいです。負けるとデフリンピックに出られないし、前回大会のリベンジもできない。死んでも勝ち抜きたい」

 林が失意のときに声をかけた中山氏は、「奇跡の遭遇」を覚えていなければ、林に声をかけたかどうかはわからなかったという。その詳細は明日2日にお伝えする。

(取材・文 林健太郎)
(協力 亜細亜大学障がい学生修学支援室)
●障がい者サッカー特集ページ

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