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ドイツ挑戦のデフサッカー日本代表・林滉大の恩師が明かす「奇跡の再会」と「代表外し事件」

ゲキサカ / 2019年1月2日 7時30分

泣きじゃくる林滉大を慰める中山剛監督

 ドイツ挑戦を表明したデフサッカー日本代表の林滉大を語るうえで、男子U-23日本代表・中山剛監督の存在抜きには語れない。恩師がいきさつを明かす。

「私が去年の6月にドイツやポーランドに視察に行った後、林君から『海外に行きたい』という相談がありました。日本では、デフのサッカー選手に対して『耳の聞こえない障がい者がサッカーをプレーする』と見ますが、ドイツでは日本のJ2、J3あたりに相当するクラブでプレーするデフの選手もいて、サッカー選手がたまたま耳が聞こえない、という見方です。林君はその辺の意識の違いも肌で感じて、日本に還元したいと考えていると思います」

 林は高校時代、サッカーの試合で結果を残しても障がいを理由に起用してもらえない憂き目にあい、卒業したらサッカーをやめるつもりだった。卒業を控えた2014年2月に声をかけたのが、当時日本代表を率いた中山監督。そのプロセスをたどると、いろんな偶然が重なっていた。

「2006年の7月、私が指導するクラブの中に聴覚障害を抱えた選手が入団してきて、デフサッカーのサポートをお願いされて初めて関東で開催されたデフ日本代表合宿に行きました。するとそこに、お母さんと一緒に来ていた林君がいました。お互い全く別の目的で来ていていたんです。当時小学生の林君が代表選手とボールを蹴っている姿を見て『うまいな』と印象に残っていて、名前も頭の片隅に残っていた。その後は接点がなかったんですが、2013年に私が男子の日本代表監督になり、2017年のデフリンピックに備えて候補選手を集めようとしていた2014年、林君の名前が再びあがってきた。年齢を確認すると、あの合宿で会った林君でした。もし、たまたま会っていなかったら、声をかけるところまでいったかどうかはわかりません」

 代表候補合宿での林の動きは良く、ゴールへの意欲が優れ、自信に満ちていた。

「今でこそ、日々ひたむきに努力をして周囲にも気を配れる子になりましたが、当時の人間性は今とは180度違いました。下手な選手のことを見下すような態度をとることがあったんです。たとえばチームみんなで荷物を運ぶときも、こちらが見ているときはやるけど、目を離すと自分より下手な選手に『持っておけ』とポンと渡してしまうような選手でした。林君の高校時代のつらい経験を後から聞いたのですが、人より優位に立つことによる安心感みたいなものが欲しかったのかもしれない。つらい経験によって芽生えた人に対する警戒心が、そういう態度につながっていた気がします」

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