パラリンピック落選のCPサッカー日本代表主将・浦辰大が明かす「無念」と「諦めない理由」
ゲキサカ / 2019年1月26日 11時18分
「いろんな友人から『弟は上手だね』とか言われるようになって、同じチームでプレーすることがイヤになったんです。だから小6ぐらいからほとんど口を聞かなかった。弟に対する『負け』を認めたくなかったんです」
屈折した心のままサッカーを続けていると、自分ができないことばかりに目が行き、面白くなくなった。「サッカーを続けていく意味、あるのかな」とまで考えるようになった頃、母・りささんから「あなたと同じような障がいを持った人がサッカーをやっているよ」とCPサッカーの存在をはじめて知り、岐阜で開かれる全日本選手権の観戦をすすめられた。
「最初は全く気乗りしませんでした。僕はそれまで健常者と一緒にサッカーをやっていて、それなりの自負はあったので、障がいを持った他の人のことをいわゆる『下』に見ていたところがありました。『ボール扱いはうまくないんだろう』とか『つまらないサッカーやるんだろうな』とか。何より、障がい者のサッカーに僕が関わったら、友達がいなくなるんじゃないかと恐れてもいたんです」
気が進まないまま、父・一美さんと一緒に岐阜旅行のついでに見たCPサッカーで浦の価値観が大きく変わった。
「正直、『すごい』と思いました。普段、杖が必要な人がピッチに立つと、杖を外して懸命に走るんです。何度転んでも、何度も起き上がる。そしてゴールを決めるとみんなが集まってきてメチャクチャ喜ぶ。『一生懸命にやることって、こんなにカッコいいんだ』って心が熱くなりました。それまでの自分は、一生懸命やることがカッコ悪いと思っていました。それは全力でやると左足と左腕でがうまく動かないことがばれてしまう。障がいを隠すために自分を表現しきれていなかったんです。自分は障がいを抱えていながら、障がいを持っている、他の人への見方が変わったんです」
昨年、韓国代表と戦ったときの浦(右から2人目)
健常者のサッカーを続けながら、CPサッカーの日本代表合宿に呼ばれると参加を続け、日本代表に定着。2013年、高校2年生で世界選手権(スペイン)に出場し、翌14年にアジアパラリンピックで銀メダルを獲得し、競技者として実績と自信をつみあげた。翌2015年、大きな転機が訪れる。一方的に距離を置き、8年近く口を聞いてこなかった弟・淳也との「雪解け」のきっかけが訪れた。自身2度目の世界選手権出場へむけた出発直前、弟は自身のツイッターでこうつぶやいたのだという。
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