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「魂は置いていかない」。W杯出場を決めながら、引退勧告を受けたある日本代表戦士の葛藤と決断(下)

ゲキサカ / 2019年4月11日 11時13分

左ひざをアイシングする上井(左)と川元監督

 2015年、タイで行われたデフフットサルのワールドカップ(W杯)の決勝後、当時28歳の上井一輝は会社員として6年間つとめ、昇進の話も浮上していたが、退職届を出した。「(世界一になるには)海外でプロになるぐらいじゃないと難しい」という日本代表の川元剛監督のアドバイスを忠実に実行するためだった。

 2016年から、川元監督のツテを頼りにイタリアに挑戦。しかし腰を痛めたため、自分の力を十分に発揮できないまま帰国した。同年、デフフットサルの活動に理解のある会社に再就職したが、仕事は夕方までこなすことが条件だった。より練習に集中できる環境を求めて2度目の転職を決意。去年の8月から1000万人以上が利用するフリーマーケットアプリを運営する「メルカリ」に所属。同社の「新たな価値を生み出す世界的マーケットプレイスを創る」というミッションや採用方針が、「世界一」を愚直に追い求める上井の姿勢や行動力と合致した。
 
 なぜこれほどまでにまっすぐなのか。それは上井が難聴になったときにわきあがってきた感情と、きっと無関係ではない。上井が続ける。

「右耳は小学5年生ぐらいから聞こえなかったんですが、左耳は大丈夫でした。でも大学2年の終わりぐらいに電車に乗ったときに突然、車内のアナウンスが聞こえなくなって……。左右ともに感音性難聴でした。近い将来、完全に聞こえなくなる、とわかると、『この世界にいられない』『今までの友達と友達じゃいられなくなる』という恐怖心が出てきました。ですから、最後に何をやりたいか、と考えたとき、本気でボールを追いかけたくなったんです」

 サッカー王国の静岡県藤枝市で生まれ育った上井は、小学校から中学まではサッカーをやっていたが、高校ではサッカー部には入らなかった。しかしボールを蹴ることを再開するにあたり、名門・静岡学園のレギュラークラスのOBが多数在籍し、当時プロ化を目指していたクラブに入団。友人から「お前、頭おかしいんじゃないの?」と言われながらも、2008年から約1年間、猛者に交じって必死にボールを追った。2015年、デフフットサルに出会い、日本代表に選出されると、競技環境の未熟さを痛感。昨年末、けがのリハビリ中でプレーできないことが最初からわかっていながら、日本代表のスペイン遠征に帯同したのも、「少しでもいい状態で次の世代にバトンタッチしたい。だから現地の様子を見ておきたかった」という使命感によるものだった。

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