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「アンプティサッカーをはじめる!」。19歳のがん患者につながった「遺志」(下)

ゲキサカ / 2019年5月14日 16時55分

「アンプティサッカーをはじめる!」。19歳のがん患者につながった「遺志」(下)

 切断障がいの人がプレーするアンプティサッカー日本代表の古城暁博主将は「(がんを克服したら)アンプティサッカーをしたい」という希望を糧に、骨肉腫と戦っていた杉浦行(コウ)君を励ますため、昨年10月のメキシコワールドカップ(W杯)直前にお見舞いした。古城はW杯にむけて昨年10月24日に出発し、史上最高の10位という成績を携えて11月6日に帰国。そのわずか23日後の11月29日、コウ君は19歳の若さで天に召された。

「帰国後に1回連絡したんですが、その直後にコウ君が亡くなってしまったことを人づてに聞きました。(昨年10月に一緒にお見舞いした)上中(進太郎)さんがお通夜、私は告別式に伺いました。告別式でコウ君のお父様とお話しすることができたんですが、実は私たちがW杯直前の10月にコウ君をお見舞いした時には、すでに余命宣告を受けていたんだそうです。お父様は『(コウ君に)残された時間は、アンプティが希望になった』とおっしゃってくれました。何とか一緒にプレーしたかったんですが……」

 コウ君が亡くなったとき、鈴木君は治療のために新潟と東京を往復し、現在通う学校の入学試験の受験準備にも追われ、「お別れ」に立ち会うことができなかった。最後に会ったのはコウ君が亡くなる2か月前の9月。鈴木君が検査のために上京したとき、お互いの家族もまじえてカラオケに行ったことが最後の思い出となってしまった。

「ラーメンを食べた後にカラオケ店に入って。尾崎豊さんの『15の夜』『I LOVE YOU』、そしてブルーハーツさんも。今考えても歌いまくりましたね。コウ君がなくなる直前、僕は同じ病院にいなかったのですが、後日、同じ病室にいた友達に話を聞くと、コウ君は体中に管がつながっていても、普通に笑ってしゃべっていたそうです。『スゴイヤツだな』と思いました」

 鈴木君にも新たな試練が訪れた。入試を終えた今年1月、義足を作るために上京したとき、検査でがんの肺への転移が見つかった。大きさは小豆ほどだが、がんの再々発。今まで何度も乗り越えてきた鈴木君も、内心は穏やかではなかったはずだ。
昨年W杯で前回4位のポーランドに勝った直後
「『どうしてこうなるんだろう』ということは、それは何度も考えました。でも最近は『考えても仕方がない』というところに行きつきました。僕は最初、上京してこの病院にお世話になったとき、小児科に入りました。僕より小さい赤ちゃんから小学生ぐらいの子がいて、その子たちは点滴などで薬を入れながらでも(病院内の)プレールームで遊びに来たりするんです。その子たちに呼ばれて遊んだこともありました。逆に、僕らと同年代の中学生、高校生が新しく入ってきて、病室のカーテンを閉めきっていることもある。あの小さい子たちの姿に触れると、カーテン閉めている場合じゃない、って思ったんです。そう考えるようになってからはコウ君とか同室にいたほかの友人らと一緒に小さい子を集めて、みんなで遊んだりしました」

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