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待ち受け伝説で話題!湘南乃風・SHOCK EYEがサッカープレイヤーに贈るアドバイス

ゲキサカ / 2019年6月15日 7時16分

――当時のご自身に何か声をかけるとしたら……?
「退学になったことも含めて現在の自分があるので、特に言うべきことはないですかね。高校をそのまま卒業したほうが正しかったかどうかはわからないですし、起きてしまったことは防ぎようがない。問題は起きてしまったことをどう捉えるか。高校退学後に僕がとった行動に対しては、『大丈夫だよ、自分を信じて』と言ってあげたいです」

――16歳のSHOCK EYEさんは、その後どういった道へ進まれたのですか?
「自分が犯したことを償わないといけないし、失ったものも取り戻さないといけないと家族とも話しました。大検(大学入学資格検定)を取得するために学校に通い、そこでHIP HOPのDJに出会えたことが僕の人生にとっては大きな出来事なんですけど、最初は別に音楽がやりたかったわけではなかったと思う。高校生という肩書を失って、ただ自分の説明文が欲しかっただけだったと思うんです。友達に『オレ、DJなんだ』って言えるし(笑)」

湘南乃風での役割はボランチ!?

――運命に導かれるように音楽の道へと進まれ、歌い手として活動されるようになりました。サッカーと同じく、音楽の世界でもプロになるのは狭き門ですよね。
「もちろん、最初からうまくいっていたわけではありません。20代のときの彼女、現在は奥さんですけど、彼女との同棲生活の中で、彼女と音楽、どっちつかずの状況が続いていたんですよね。それがうまくいかない原因だと気づいてしまった。でも、彼女も音楽も大事で……。そんな究極の選択で、僕は音楽をとらず彼女をとった。『2年後までにデビューできなかったら音楽を辞めて、就職をする』。そこで音楽を捨てる覚悟で臨んだからこそ、2年後のデビューにつながり、いまがあるんだと思います」

――2002年に湘南乃風を結成し翌年デビューされるわけですが、20代のギラギラした歌い手が4人いる中でSHOCK EYEさんはどのような役割をされていたのですか?
「バランスをとってチームをつなぐ役目という意味で、サッカーで言うとボランチかな。当時の僕以外の3人は、みんなストライカー。もし監督のような役割の人がいたら『SHOCK EYEもストライカーをやればいいんだよ』と言われたかもしれない。でも当時の僕はストライカーをやる自信がなかったし、ストライカーにはなりきれなかったというのが本音かな」

――現在とは違う印象ですね。
「4人の中では目立つタイプではなかったし、地味な存在だったと思うんですよね。それで3人と同じポジションをやろうとしても勝てない。でも『自分のままでいいんだ、違う役割があるんだ』と気づいたのが『ワンルーム』をつくったことで(※2006年発売の『湘南乃風~Riders High~』に収録。SHOCK EYEのソロ楽曲)それが自信につながって。RED RICEにならなくていいし、若旦那にならなくていいし、HAN-KUNにならなくていいんだっていうね」

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