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[関東]父は阪神、中日で活躍した名内野手…駒澤大MF久慈勇仁「悔いのないように終わりたい」サッカーキャリア完全燃焼を誓う

ゲキサカ / 2024年10月31日 20時30分

駒澤大のMF久慈勇仁

「何で野球じゃないの?」

 これまで何度聞かれただろうか。初めましてのあいさつの次には、必ず聞かれた質問かもしれない。「あまり僕はプレッシャーに感じることはなかったけど、それでもやっぱり周りからは言われました。正直、鬱陶しいなと思いながらやっていたこともあります。全然慣れたんですけどね」。久慈勇仁(4年=野洲高)はそう言って一笑に付した。

 二世アスリート。フィルターを通してみられることは、もはや宿命と言ってもいい。そしてJリーグができて30年余り。毎年のように二世Jリーガーが誕生しているが、野球選手を父親に持つ選手も少なくない。有名どころでは高木俊幸(千葉)、高木善朗(新潟)、高木大輔(琉球)の3兄弟の父親は、元プロ野球選手の高木豊氏。日本代表MF旗手怜央(セルティック)の父親の旗手浩二氏も、PL学園時代に桑田真澄氏や清原和博氏の1学年上で活躍した選手として話題に上がる。

 久慈の父親・照嘉さんは元プロ野球選手。1991年のドラフト2位で阪神タイガースに入団。その後中日ドラゴンズでもプレーした堅守の名内野手だった。ちなみに2人兄妹で、妹の愛さんは23年度の第95回記念選抜高等学校野球大会で応援イメージキャラクターを務めたことで知られる新鋭女優だ。

 勇仁は父親が中日から阪神に復帰する直前の2002年9月に生まれた。照嘉さんは勇仁が3歳の時に現役を引退したため、父親がプレーしている記憶は残念ながら残っていないが、当時阪神に所属した選手の子供たちとは家族ぐるみで交流があったことから今でも仲がいいという。

 小さいころはいろんなスポーツにチャレンジさせてもらった。「野球やサッカー、ゴルフもやったりしました。最初は野球がやりたかったんですけど、父に『肩を怪我するから、やるなら小学校4年生くらいからでいいんじゃない?』『今は走っておけばいいよ』と言われて。それでサッカーをやっていたんですけど、いざ野球をやるかと聞かれたときに、坊主が嫌で。『坊主にしないとあかんの?』と聞いたら、『しないといけない』と言われたので、じゃあサッカーをやると(笑)。それでサッカーを続けることにしました」。

 西宮サッカースクール、ヴィッセル神戸伊丹U-15、そして滋賀県の強豪校である野洲高校に進学。足の速さを生かしたサイドプレーヤーとして主力を務めた。そして大学はよりレベルの高い関東1部でのサッカーを志望して、駒澤大にやってきた。一般生としての入部で、なかなかトップチームの試合に絡むことができなかったが、3年生の6月に関東リーグデビュー。そして副キャプテンを務める大学最後のシーズンは、4月27日の日本大戦で初先発も経験した。

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