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中学時代から別の道を歩んできた富山の“大村ツインズ”。兄・笙太、弟・悠太が交差した最後の選手権「これからもお互いに良い影響を」

ゲキサカ / 2024年11月10日 7時0分

■伝統校で文武両立に挑んだ弟・悠太

 ところが弟・悠太も悔しい結末に終わった。全国大会6度の出場を誇る水橋高を母体に合併し、校名変更後初の全国出場を狙う富山北部はピッチを横断する強風が吹き荒れる難しいコンディションの中、富山東と我慢くらべの接戦を演じていたが、セットプレー一発に屈して0-1で敗れた。

「やり切るところでやり切れず、悔いが残る試合だった。決勝に行って、みんなで目標にしていた全国大会に行けないことが悔しい」。強風の影響は特に攻撃の精度不足に表れていた中、悠太は「風の影響を考えながらやろうとは話していたけど、そこに対応しきれない部分があった」と悔やんだ。

 試合前にはピッチで整列する際、兄と視線を交わしていた。「並んでいる時にちょっとアイコンタクトをして、グッて(親指を立てて)『頑張って』って言ってくれた。それに応えられなくて残念」。ライバルから見ても「正直驚きだった」という富山一の敗退。その悔しさの中でも優しい眼差しを向けてくれた兄・笙太の姿を思い出し、弟・悠太は声を詰まらせた。

 弟・悠太にとって、兄・笙太は常に先を行く存在だった。小学校時代は共に地元・滑川市のJKキッズでプレーしていたが、兄はJFAアカデミー福島U-15WESTのセレクションに合格し、静岡県にサッカー留学。一方、自身はセレクションに通らず、地元でプレーする道を選んだ過去がある。

「自分が落ちたところにあっちは受かって、頑張ってほしいという反面、ちょっと悔しさもあって、ずっとライバルだと思ってきた」(悠太)

 高校では兄が複数の選択肢の中で「チームの熱量に感動して、ここでサッカーしたいと思った」という富山一への進学を選び、今度は共に全国出場を争う間柄に。滑川市の実家で同居していることもあり、ここでも常に刺激を与えられていた。

「いつも身近にいる存在だったからこそ、トミイチを倒すぞという気持ちはずっと持っていた。やっているカテゴリが違って、お互いの試合結果も気になるし、絶対に倒してやるという気持ちで3年間サッカーをやってきた。本当は決勝で2人でやって勝ちたかったけど、それが叶わなくなって残念」(悠太)。その悔しさの中には兄の無念もこもっていた。

■それぞれの道へ

 兄・笙太は卒業後、「自分の武器を評価してくれて、見てくれていて、ここでサッカーしたいと思った」という関東の大学でサッカーを続ける予定。現在は都道府県リーグ所属の大学だというが、「いつか関東1部・2部のチームと戦えたら」と目標を掲げている。

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