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3人のアビスパ福岡OB指導者が実現させた「国立競技場の同窓会」 前橋育英・松下裕樹コーチ「2人から『決勝、頑張ってね』とは言われました(笑)」

ゲキサカ / 2025年1月12日 19時25分

前橋育英高の松下裕樹コーチ(左)は国立での”同窓会”を実現させた(写真協力『高校サッカー年鑑』)

[1.11 選手権準決勝 東福岡高 1-3 前橋育英高 国立]

「あの2人を見たら、『いや、彼らには負けられないでしょ』って(笑)。シンプルにそう思いましたね」(前橋育英高・松下裕樹コーチ)

 1月11日。高校選手権準決勝。東福岡高(福岡)と前橋育英高(群馬)が対峙した一戦では、かつて同じJリーグのチームで切磋琢磨していた、ある3人の指導者の『国立競技場の同窓会』が実現した。


「神山は東福岡の映像を見た時に『あ、神山いるじゃん!』って思ったんですけど、辰徳がいることは昨日メディアの人に聞いて『ああ、そうなんだ』と初めて知りました」。

 前橋育英の松下裕樹コーチは、嬉しそうな表情でそう明かす。この日の準決勝で対戦する東福岡のベンチに入っていたのは、神山竜一GKコーチと山形辰徳コーチ。3人は2005年から2006年の夏までアビスパ福岡で一緒にプレーしていた、元チームメイトだ。

東福岡・神山竜一コーチ
東福岡・山形辰徳コーチ

 2005年シーズンを振り返ると、立正大淞南高(島根)から高卒ルーキーとして入団した神山コーチは、プロ3年目のシーズン。前年にサンフレッチェ広島から期限付き移籍で加わり、この年から完全移籍へ移行した松下コーチは加入2年目。また、山形コーチはアルビレックス新潟から完全移籍を果たした初年度に当たる。

「『試合に出れるか、出れないか』ぐらいの立ち位置が同じような感じだったので、その中でも試合に出られるように切磋琢磨しながら、お互い頑張っていた仲ではあったと思っています」(松下コーチ)。まだ20代前半だった3人は、Jリーグの世界を生き抜くために、毎日のトレーニングと必死に向き合っていた。

 2006年シーズンの途中で松下コーチが川崎フロンターレに期限付きで移籍し、翌年にはザスパ草津(当時)へと完全移籍したため、彼らが同じチームで過ごしたのは1年半という短い時間だったが、同年代として試合に出たいとともにもがいていた日々は、はっきりと記憶に残っているに違いない。


 そんな3人が指導者となり、とりわけ松下コーチと山形コーチは母校のコーチングスタッフとして、選手権の舞台で、しかも国立競技場で敵味方に分かれて対戦することになるのだから、人生はわからない。

 試合は3-1で前橋育英が勝利を収め、決勝へと進出する。タイムアップ直後に両チームのスタッフが挨拶を交わす際、3人がお互いの健闘を称え合い、握手する姿も印象的だった。

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