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フリーアナ生島ヒロシさん「人生はラグビーボールみたいなもの」【私が生きるクスリ】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年6月16日 9時26分

 この年になると頻尿とか病気の話なら、同世代はだいたい経験があるからわかる。いい薬があるとかいい先生がいるというと、僕のことを尊敬するんです。そして元気でいくつになっても仕事をしていれば、認知症の問題だって解決できると思っています。

 岸博幸さんとホリエモンが雑誌の対談で「お金を使うなら健康。健康に投資する」というようなことを言ってたけど、そうすることが、自分に対するリターンが一番確実です。

 僕はTBSに入る時から独立すると言って、辞めています。フリーになって、幸いなことに番組が終わっても、次の番組まで何カ月もブランクがあるということがなかったんですよ。辞めた後、月~金のベルトの番組をフジテレビでやってからTBSになり、またフジテレビ、次は単発の番組になったけど、ラジオの番組が決まって、ラジオは26年目です。

 もし何カ月か番組が空いたら落ち込んで、先行き不安になっていたと思います。ラジオになって収入は減ったけど、働き続けていると集中しなければいけないので、余計なことを考えない。いろいろあっても、本業が動いていると会社も回るのですごいストレスがかかるような生活ではない。ここまでうまくつながったのは神様のお導きだと思います(笑)。

 ただし、中長期的な目標を考えながらやっていました。AプランがダメならBプラン、BプランがダメならCプランとロングレンジで。番組が始まるということは終わるということです。終わったらどうしようとつねに考えていました。

 1社提供番組だとして未来永劫に提供してもらえるわけではない。お世話になったことに感謝しつつ、終わったらスポンサーを探そうとか。独立してから放送局の営業や代理店みたいな仕事も自分でやり、仕事がなくならないようにしました。サバイバルです。

 お金に関しては、行き当たりばったりですね(笑)。家は裕福じゃないし、高校2年の時に一番下の弟ができて大学に行けるような状況ではなかった。それでも、父親が大学に行かせてくれた。ただし仕送りはゼロ。バイトで稼ぎました。そうこうしているうちにアメリカに行くことになり、残りのお金が100ドルぐらいしかなくなった時期もあるけど、バイトしながら頑張って卒業するんです。働けばなんとかなる、なせばなるなさねばならぬ何事もです。

 その勢いのままTBSに入って、終身雇用制だけど、一生いるつもりはないから13年で辞めました。年収は会社に入ってベストで1200万円くらい。バイトも同じくらい収入があった。独立した1年目は1億2000万円、次が2億4000万円、次が3億6000万円、4億円近くまでいった。それから下がってもテレビ時代は2億円は稼いでいました。ラジオに移ってからはもっと下がりましたけど。

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