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「お笑い三冠!」担当マネジャーSMA平井精一さんが語る 優勝の舞台裏とマネジメントの秘訣

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年7月1日 9時26分

「お笑い三冠!」担当マネジャーSMA平井精一さんが語る 優勝の舞台裏とマネジメントの秘訣

平井精一さん(提供写真)

【その日その瞬間】

 バイきんぐ、ハリウッドザコシショウ、錦鯉らを育てた名物マネジャーとして知られるソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)の平井精一さん。著書「『芸人の墓場』と言われた事務所から『お笑い三冠王者』を生んだ弱者の戦略」も話題になったが、あらためて三冠の瞬間とマネジメントの秘訣を語ってくれた。

■社内で自分の居場所をつくるヨコシマな考え(笑)

 ──音楽事務所でお笑い班を立ち上げた経緯を教えてください。

 渡辺プロダクション(現ワタナベエンターテインメント)からSMAに入社し、宣伝部の仕事は楽しかったのですが、やはりマネジャーをやりたかった。「何か立ち上げないと自分は悲惨なことになる」と、社内で自分の居場所をつくるというヨコシマな考えもありました(笑)。

 当時「エンタの神様」や「M-1グランプリ」が高視聴率で、芸人ブームの時でしたし。東京の事務所は所属芸人が少人数でしたので、逆に2004年の年末に芸人になりたい人を大々的に募集。養成所はつくらず、来た人を全員所属として抱えました。

 翌05年にライブを立ち上げ、同10月には「エンタの神様」でコウメ太夫が売れてました。うちは他の事務所をクビになった芸人でも来る者は拒まず。吉本さんがうまくいっているのは人数だと思うんです。「人は財産」という考えで集めました。

 ──「爆笑レッドカーペット」など芸人ブームの中、響やAMEMIYAがブレーク。12年にバイきんぐが「キングオブコント」で優勝しました。

 うれしかったですね! マネジャーとしてそんな感覚を味わったことはなかったです。

マネジャーは大舞台では芸人を平常心で舞台に送り出す態度が重要

 ──その後、ハリウッドザコシショウ、アキラ100%と2年続けて「R-1ぐらんぷり」優勝。

 ザコシショウは事務所を転々としてうちに来ました。以前はコンビでやっていたから優勝時にはかなり変わったんです。裸になる必要はないモノマネですけど、「腹が出てきて面白いフォルムになってきたから」と本人が言ってきたのがきっかけです。

 当日、最初のネタでウケて、ある芸人が楽屋で「ザコシショウに風が吹いてる、優勝ある」と言ってくれた。それを聞いた私は緊張させないように「決勝まで来たら勝っても負けてもメシ食えるようにはなるから、緊張しないでやってこい」とだけ言ったんです。マネジャーは大舞台では芸人を緊張させず、平常心で舞台に送り出す態度が重要かなと思いました。

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