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右半身だけでほふく前進して玄関へ…ツートン青木さん脳梗塞を語る

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年7月15日 9時26分

 看護師でさえ、特別なカードがないと上がって来られないくらい厳重な病室だったんですけど、なんと転院から1カ月後に咳が出始めて、調べたら新型コロナに感染していました。

 それでコロナ専門病院に10日間ほど入りました。その移動中、車の窓が全開で、すごく寒かったのを覚えています。2月ぐらいだったでしょうか。病院のスタッフはコロナ対策で完全防備でしたけど、私は薄い上着だけで出て来てしまい、震えあがりました。誰か寒さについて助言してくれても良かったと思うんですけどね(笑)。

 いろいろありましたが、とにかく早く退院したかった私は、その後、猛烈にリハビリを頑張ったことは間違いありません。主治医はもちろんですが、家族のOKが出るまで退院できないので、リハビリの動画を撮るときは全力を出しました。そうやって、早めの退院を“獲得”したのです。

 現在もリハビリとマッサージの方に日替わりで来ていただいているのは、そうでもしないと自力だけでは回復できないからです。本来は教えてもらったことを復習しなければなりません。でも、忘れてしまってそれができない。「毎日歩いてください」と言われても、近所を歩けば人に会っちゃうじゃないですか。同情されるのも嫌なので出歩けないんです。しかも、半身麻痺を悟られないように歩こうとするとすごく痛いんです。じつは今日も痛み止めの薬を飲んできたんですよ。

 生活では、食事は娘が用意してくれますが洗濯や炊事を自分でやるようにしています。でも思うようにはいきません。ちょっと前まで地元で飲食店をやっていたくらい料理は得意なんですけど、体がこうなってお店は閉めました。左手のコントロールが利かないんです。

 右手で包丁を持って、左手で食材を押さえる際、力を入れると勝手に動いてしまうから、2~3度、左手の爪に包丁が入ってしまうことがありました。思いもしない動きをして、持った器が飛ぶこともありました。グラスなんか2、3個割りましたよ。今は軽い器に変えましたが、重い器を持ったときは指がペンチでつねられるように痛い。

 それでも、少しずつ良くなっていくごとに「感謝」の気持ちが湧いてきます。母親もよく手が痛いと言っていたのに、当時は本気で心配してあげられなかった。今になって、やっとあの頃の母の痛みがわかるようになりました。

 この経験を経て、これからは老人ホームや介護施設で、お年寄りに楽しんでもらう仕事がしたいと思っています。今いろいろと計画を練っているところ。「普通の動きが普通にできたことは幸せだったんだな」と改めて感じています。

(聞き手=松永詠美子)

▽ツートン青木(つーとん・あおき) 1959年、神奈川県出身。国鉄(現JR)職員、ダンプカー運転手を経て、33歳からモノマネ芸人との“二足のわらじ”を続け、35歳でモノマネに専念。美空ひばりの歌マネや古畑任三郎に扮した田村正和のモノマネをはじめ、数多くのレパートリーを持つ。

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